――他の場所でも「シンデレラ・ハネムーン」以外の曲も熱唱される姿をよく拝見しました。
高橋 よく「マイクを持ったら離さないんでしょ?」と言われるのですが、そういうタイプではないんです。
ただ、当時アナウンサーがメインの番組で、たまたま歌う機会がありまして。そうしたら、「マーサ、歌えるじゃないか…!」って。そこから『女子アナ歌がうまい王座決定戦』とか『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦』に呼んで頂き、「マーサ=歌」というイメージが定着しました。次第に「マーサの歌が面白い!」と言われるようになって。フジテレビのお台場合衆国という社を挙げた一大イベントがあるのですが、会社から7月の中旬から8月末までの47日間、毎日歌を歌ってくれないかって言われたんです。
会社員としてお力になれるのであれば、と引き受けましたが、7月の平日朝9時半とか、お台場に誰も人がいないんですよ。いても、2、3人くらいで、カメラにも映らないし。それでも毎日2曲歌って、1曲は自分が選んだ曲で、もう1曲は中野美奈子さんと生野陽子ちゃんと加藤綾子ちゃんが出しているCDを歌って宣伝するという。
「感じたのは視聴者の皆様の温かさでした」
――後輩アナウンサーたちのCDを歌って宣伝を…?
高橋 はい。アナウンサーとしての王道ではなかったですが(笑)、そういうところが良かったのかなと思います。
でもそんなことをコツコツやっていたら、7月の終わりころから徐々に口コミでも人が増え始めていって。はじめは2、3人だったのが、最終的には2000人近くの人が見に来てくださったんです。「マーサちゃん頑張って!」とか、「いつも見てるよ!」って応援して下さって。
元々、フジテレビの内定を頂いてから、コネだとか可愛くないとか言われ続けてきて。私はずっと嫌われているんだって思っていたんです。でも初めて視聴者の方と接して、こんなに温かく見守って下さっているんだと肌で感じたのが、後々フリーランスになろうと思ったきっかけの一つです。
――改めてフリーランスになろうと思ったきっかけはなんだったのでしょうか?
高橋 フジテレビという枠を超えて、他にももっとたくさんの媒体や色々なメディアでお仕事をしてみたいと思ったんです。
あと、これはあんまり言ってないんですけど…。もう一つの理由は、私は元々ニュース原稿が読みたくて、アナウンサーになったんです。売れない時期も細々とBSですとか、ナレーションのニュースは読ませて頂いて。その後、バラエティーに出るようになってからもニュースはずっと担当させて頂いていたんです。ところが、会社を辞めようかどうしようかなって悩み始めているときにニュースを外されて。
当時のアナウンス室長に直談判に行ったんです。でも、「これは上の決定だから。決定に従ってもらわないと困るし、君の希望は叶えられない」って言われた時に、あぁ、ニュース原稿が読めないんだったら、局のアナウンサーをしている意味がないなって。