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小学2年生までは引っ込み思案な子供だった

――島田さんはもちろんタレントでもありますけど、やっぱり女優ですよね。

島田 それも舞台女優ですね。舞台が大好きで大好きでたまらない。袖から登場する時に、もう気持ちが切り変わります。「お客さん、笑てや!」って客席に向かってすごく圧をかけるようにしてますから(笑)。

Ⓒ文藝春秋/細田忠

――お笑いには小さい頃からご興味があったんですか?

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島田 私が小さい頃は、テレビやラジオでお笑いのコンテンツがすごく流行ってたので、お笑いは自然に好きになりましたね。関西出身で吉本の笑いが身近だったというのもありますが、それ以上に時代もあったんとちゃうかな。中川家とかFUJIWARAとかナインティナインが年齢が近いんですけど、同世代でドリフやひょうきん族の影響を受けなかった人っていないと思います。でも、小学校の2年生までは引っ込み思案な子供でしたよ。家の中じゃ親を笑かしたりしてましたけど、一歩家の外に出るとまったく喋れないタイプ。

Ⓒ文藝春秋/細田忠

授業後はクラスの友達を集めて先生のモノマネを披露

――えっ!

島田 4歳から書道をやってましたし、大人しい子だったんです。でも、その小学校2年生のときに、西岡先生という学校の書道指導をしてはったお爺ちゃん先生と出会って変わりました。西岡先生、私のことをすごく褒めてくれたんです。「いい字やね、素晴らしいね」って。これが自分のなかでえらい自信になったんやと思うんです。「ああ、私ってできる子なんや」って。子供って一旦自信がつくとすごいですよ。家で親だけに披露してたギャグを学校でもどんどんやるようになりました。温めてた先生たちのモノマネもようやく日の目を見たりして。人を笑わせるのが得意なんやって自分で思うようになってましたね。

Ⓒ文藝春秋/細田忠

――じゃ、将来お笑いの道に、というのもすんなりと?

島田 授業が終わるとクラスの友達を集めて先生たちのモノマネを披露するミニ・ライブをやってましたね。もうほとんど独擅場で、よそのクラスの子もわざわざ見に来てくれたり。はっきり自覚していたわけじゃないんですけど、心のどっかに「お笑いの道もありやな」ってあったんやろうなあって、今では思いますね。

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 自分は「面白い」――気づいた少女がお笑いの世界に足を踏み入れていくのは必然だった。(#2につづく)

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