育成出身の高卒6年目、森遼大朗にプロ初勝利をもたらした4月19日の日本ハム戦。ロッテファンにとってのいちばんのサプライズは、その球を受けた捕手が江村直也だったことだろう。
期待の若手・松川虎生との入れ替わりで今季初の1軍昇格をつかんだ捕手最年長のプロ13年目。チームきっての“愛されキャラ”だが、基本はもしもの事態に備える“3番手”ポジションである彼がスタメンマスクを被ったのは、21年5月18日のオリックス戦以来、約2年ぶり。
昨季は夏の終わりに一瞬ベンチ入りしただけで試合にすら出してもらえなかったぼくらの“エム”が、きっちり結果を出してみせたのだから、こんなにうれしいことはなかった。
ちょうど次のコラムテーマをどうしようかと思案していたぼくは、編集担当の近藤監督に「これはもうエムしかないでしょ!」とすぐさまLINE。たぶん、ヘタをしたら当の江村の身内以上に歓喜しているかもしれない、あの“江村女子”にもひさしぶりに連絡を取った。
江村が見せた一世一代の“大仕事”にスタンドで号泣していた女の子
「てっきり“思い出昇格”かと思っていたら、まさかのスタメンで。どうしよ、どうしよって、あの日はずっと落ち着かなくて、心臓がすごく疲れました(笑)。仕事がなかったら、北海道にいますぐ飛んで行きたかったくらいでしたしね」
そう語る“江村女子”こと安部恵莉香さんは、静岡県内に住む熱心なロッテファン。正真正銘の一般人だが、マリンのライトスタンドでは知る人ぞ知る人物だ。
19年6月2日の西武戦。プロ9年目でようやく出たキャリア初ホームランが、試合を決めるまさかの満塁アーチという、江村が見せた一世一代の“大仕事”にスタンドで号泣していた女の子……と言えば、覚えている人もいるだろう。
「江村選手自身はあんまり1軍にはいないですけど、あれからもアクリル絵の具で手描きした“53番”のユニフォームを着てマリンには家族でよく通ってます。とくにここ何年かの9月、10月は『これが最後かもしれないから』って思いながら、スケジュールもできるだけ詰め込んで(苦笑)。江村選手見たさに、鎌ケ谷や横須賀、平塚とか、ジャイアンツ球場にも行きましたね」
ただでさえ、「なんでロッテなの?」と聞かれがちなロッテファンでさえ、多くの人が「なんでそこまで?」と思うほどの江村推し。でも、人を好きになるのにそこまで明確な理由など実はない。
彼女にとってはただ、「野球をまた好きになるきっかけをくれた」存在が江村だっただけ。ちょうど10年前。13年のマリンで、1軍初昇格を果たしたばかりだった高卒3年目の背番号「53」と出会ったことが、彼女に明日への活力をくれたのだ。
「子どもの頃から古田敦也さんが好きで、古田さんが現役を辞めちゃってからは野球ともだいぶ距離を置いていて。でもあるとき、ロッテファンだった弟が『マリンの応援を体験したらまた好きになれるんじゃない?』って何の気なしに誘ってくれて。初めて行ったマリンで、ライトスタンドからでも聞こえるぐらい“バチンッ”っていい音で受けていたのが、たまたま江村選手だったんです」
その時点での彼女は、まだズブの“マリーンズ素人”。江村がどんな顔をしていて、どんなキャラなのかも、もちろん知らない。まして、その年がいまに至るまでの彼のキャリアハイになるなんてことも知るはずがなかった。
ライトスタンドから遠目に見えるマスク越しの「53」と、その彼が鳴らす小気味いい捕球音。野球&ソフトボールの経験者で、かねて“捕手好き”でもあった彼女は、ただそこに“一耳惚れ”した。
「そのあと顔もよく知らないまま、今度は京セラドームに手作りのボードを持って駆けつけて。球場を後にする選手の乗るバスに向かって掲げたら、ちゃんと本人が反応してくれて。本格的にハマったのは、たぶんそこから。
だから、『えっ、江村さんってレギュラーじゃなかったの?』となったのは、だいぶあとのことなんです。もしあの日のキャッチャーが、里崎(智也)さんや金澤(岳)さんだったら、どうなってたのかな、とはちょっと思いますけどね(笑)」
それから10年。彼女とその家族にとって、「ロッテを応援すること」はすっかり生活の一部になった。江村と出会うまえから好きだったK-POPアイドル『SUPER JUNIOR』も変わらず好きだが、折りからのコロナ禍もあって、比重はむしろ「ロッテのほうが大きくなった」。
「野球は早くから日程が決まっているし、どこに“遠征”を入れるかをまず決めて、K-POPは空いたところで行けたら行くという感じ。とくに今年は、本当に最後かもしれないから、できるだけ江村選手を優先したいなって。もちろん、来年も変わらずユニフォームを着てくれるのがいちばんですけどね」