常勝軍団を応援するのは楽しいかも知れない。
でも、応援って本当にそれだけだろうか。一度好きになってしまったら、どんなに負けても、どんなに弱くてもついていく。ファンとはそういうものだ。好きって恐ろしい。
今シーズンの楽天イーグルスは正直ここまでは厳しい状況だ。ただ、いつか優勝が叶った時の喜びを何倍にも増幅させるために、この状況から目を背けることなく、しっかりと脳裏に焼き付けておきたい。そして、将来期待の若手選手が活躍するたび、ニヤニヤしながら楽しむのもいいだろう。
前回は期待の若手として内星龍投手、その後プロ初勝利を挙げ、順調に階段を登っている。
そして、5月4日。また、プロの第一歩を踏み出した選手がいる。
大卒2年目23歳 松井友飛投手だ。 5回92球3安打無失点でプロ初勝利。
今シーズン、イースタンで開幕投手を務め、ファームでは6試合で防御率2点台。しっかりと結果を残して掴んだ、プロ通算2度目の先発マウンドだった。私はマウンドからは遠く離れた5階の放送席からこの試合を見ていた。立ち上がりは放送席まで息遣いが聞こえてきそうなくらい、緊張が全身から伝わってきた。大丈夫でしょうか……。この日の解説・岡本真也さんともそんな話をしていた。
だが初回、先頭バッターにヒットを打たれたものの、本人も登板後に語っていた通り、まず1回のピンチを無失点で凌いだのが大きかった。2回、3回と続けて先頭バッターにヒットを打たれるも、粘りの投球でスコアボードにゼロを刻んでいく。0-0で迎えた5回裏、味方打線が繋がり一挙5得点。勝ち投手の権利が転がり込んできた。チームはそのまま逃げ切り勝利。嬉しいプロ初勝利だ。
この日から12日後の5月16日。松井投手の姿は、楽天イーグルス泉練習場にあった。楽天二軍の拠点となる場所だ。プロ初勝利の反響を聞いた。
「投げ終わって携帯見たら、SNSでメッセージがたくさん来ていました。100~150くらいは来ていたと思います」
その中には、地元の恩師や友人たちの名前もあった。
人口7500人 小さな町から掴んだプロの舞台
出身は石川県穴水町。能登半島の中央に位置する、人口7482人の小さな町だ。穴水高校では公式戦で1勝も挙げることなく3年間を終えた。部員が9人に満たない時期もあり、公式戦のほとんどがコールド負けだった。当然ながら、高校時代は無名の存在だった。その後、地元の金沢学院大学に進学する。
「高校ではなかなか勝てなくてしんどい思いもしてきて。野球は正直もういいかなと思った時期もありましたが、大学で野球をやってくうちにプロになりたい気持ちが芽生えて。こうして初勝利を挙げられたのは感慨深い気持ちです」
プロを意識し始めたのは、意外にも遅めだった。
「本格的にプロを目指そうと思ったのは、大学3年のドラフトが終わった頃でした。社会人チームは内定していたんですが、このままだとアマチュア止まりで終わってしまうのではないかと。そこから1年、本気出して頑張ってみようと思って、プロを意識するようになりました」
プロ野球選手にもなるような人はみな幼少期から野球漬けでプロしか考えていませんでしたみたいな人ばかりだと思っていた。アナウンサーの世界もそうだ。幼少期から目指していた、高校時代から、遅くとも大学に入るころには、憧れの職業に挙げて夢を叶える人が多い。
でも、たまにいるんだ。就職活動をしている中で、なんとなく受けてみようかなと思ったらアナウンサーになってしまうツワモノが。私の元同僚、袴田彩会アナがそうだ。もちろん、短い期間に相当な努力をしたからこそ、のちに好きな女性スポーツアナウンサー1位にまで上り詰めた今があることは言うまでもない。
松井投手も、大学の最後の1年は練習した記憶しかなかったと話す。きっとその努力は、我々の想像をはるかに超えるものだろう。金沢学院大出身の投手がNPBで勝利するのは、96年の創部以来初めてのこと。松井投手の快挙が、新たな歴史を刻んだ。
大学時代に急成長を遂げた松井投手。ただ、決して高校時代の経験も無駄ではなかったようだ。あの泥臭い思いをしたからこそ、大学で練習の虫になれたのだろう。
そんな母校への思いは今でも忘れていない。
プロに進んでから、穴水高校野球部に新しい打撃マシンを寄贈した。
「僕が在籍していた頃に使っていた打撃マシンは、僕が入学するずっと前から使っていたもので、すでにボロボロでした。野球部の存続を願って寄贈しました」
今現在も部員は人数ギリギリの状態。北陸で球児を目指す少年たち。ピカピカの打撃マシンがある穴水高校の門をぜひ叩いて欲しい。