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中学時代から大事にしている言葉

「耐えて夢を追え」。西村が自身のグラブにそのように刺しゅうを入れている。中学校の時から大事にしている言葉だ。

「耐えて夢を追え」の刺しゅう ©千葉ロッテマリーンズ

 軟式野球部の西村が当時の監督から教えてもらった。チームのスローガンでもあった。この言葉を思い出すきっかけになったのは帝京大学4年の秋。大学最後のリーグ戦中。プロ野球目指して猛アピールをしていたがベースカバーにおける一連のプレーの最中に膝を痛めた。土にスパイクの歯が食い込み左足を切り返すことが出来ず、大きくひねった。「足の向きがおかしかったし、周りの人の表情を見て、これはヤバいと思った」と振り返る。診断結果は左膝の前十字靭帯損傷。ドラフト会議直前。最高のアピールのタイミングでの大怪我による離脱はプロ野球指名が厳しくなることを意味していた。

「苦しかった。夢が消えていく感じ。悲しかった。そんな時、中学時代によく聞いた言葉を思い出した。この言葉が心に染みました」と西村は当時を振り返る。

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 プロからは声がかからなかったものの、社会人名門チームのNTT東日本に入ることが出来た。ようやく試合で投げ始めたのは1年目の8月だった。それでも焦らずにリハビリに取り組めたのは「耐えて夢を追え」の言葉があったから。文字通り、リハビリの日々に耐え、再びマウンドから投げる日を夢見た。

 そして夢は叶った。2年目にリリーフとして都市対抗出場に貢献。チームは36年ぶりの優勝を果たし、その年のドラフトでファイターズに2巡目指名を受けた。どん底の時の想いを忘れないようにプロではグラブに言葉を刺しゅうにして入れた。ファイターズ時代はそこに北海道のシルエットも入れられていたが、今は千葉県のシルエットとなっている。

「今もこの言葉は大事だと思っています。ずっと忘れないために刺しゅうにして入れました。今は色々な夢がある。チームは優勝という大きな目標に向かって突き進んでいる。自分はその中で大事なピースとなって貢献したい。日々、チャンスを掴んで大きな夢を実現したいです」と西村。

 まるで何年も前からマリーンズにいたかと思うほど、今はすっかりチームに溶け込んでいる。そして勝利には欠かせない存在となっている。充実の日々が続く。

「移籍直後も色々な人が声を掛けてくれてやりやすい環境を作ってくれました。ブルペンでは澤村さんや益田さんが引っ張ってくれていて、とても雰囲気はいい」と話す。

 今の西村の土台は苦しかった経験。左膝前十字靭帯を痛めて一度はプロの夢が霞んで見えた時。そしてプロ入り後、なかなか結果が伴わなかった日々。そんな時、耐えて耐えて夢を追い続けてきた。そして今、千葉で大輪の花を咲かせようとしている。今は大きな夢を叶える途中。真っ只中だ。

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