かつて組同士の抗争をきっかけに、神戸刑務所に収監された元山口組系組長の竹垣悟(たけがき・さとる)氏。ある日、当時「国民的歌手」として慕われた島倉千代子が慰問に訪れることに。
生で彼女を見た衝撃、そして島倉千代子さんとともに現れた、後年テレビ大活躍する「超大物タレント」とはいったい? 新刊『懲役ぶっちゃけ話 私が見た「塀の中」の極道たち』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)
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刑務所内での娯楽は将棋や囲碁、カラオケ大会、運動会、ソフトボール大会、それに慰問などがある。ソフトボール大会は年1回、午前と午後の2回に分け、工場対抗でやるから、これは力が入る。
楽しみなのは慰問だ。慰問とひと口にいっても、宗教者の講演からシロウトに毛の生えたような歌手が来るなど大小さまざまで、名の知れた歌手やお笑い芸人が来るような大きな慰問は年に1、2回あるかどうかだが、歓声を上げたり声援を送ったりすることはできない。
いまは拍手だけは許されているが、かつてはそれさえも禁止で、姿勢を正して無言で聴いていた。不気味で歌手もやりにくかっただろう。
慰問に来た島倉千代子
慰問といえば、こんな思い出がある。竹中正久親分が入所してきた年だったと記憶する。私は月に1度、刑務所内にあるベンサム教会で正久親分と顔を合わせていた。
ベンサム教会は宗教教育のためのカトリック系の教会だが、正久親分も私も宗教心から足を運んでいたわけではなく、ここでなら堂々と一緒にいられるからである。松野順一組長も、「竹中の兄貴に会えるなら、わしも行こうかな」ということで一緒に顔を出していた。
で、ベンサム教会に向かう途中でのこと。
「おやっさん、島倉千代子、いつ来ますの?」
正久親分が付き添いの担当刑務官に唐突に聞いたのである。
(島倉千代子? なんの話や)
唐突だったので、どういうことなのか、教会で正久親分に問うと、「ヤマケンが慰問に入れてくれるんや」
初代山健組の山本健一組長が正久親分のために島倉千代子を慰問に入れてくれるというのである。
これには私も驚いた。国民的歌手の島倉千代子が刑務所に慰問に来るなど考えられないことだ。だからこそヤマケンが竹中正久のために動いたとなれば、慰問に入れたヤマケンも、入れてもらった竹中正久もたいしたものだと評判になる。
有名芸能人の慰問はやくざにとって力量の誇示でもある。正久親分は島倉千代子の慰問を心待ちにしていたのではなく、ヤマケンの厚意を楽しみにしていて、「いつ来ますの?」と担当に聞いたというわけだ。
じつは初代ヤマケンと歌手の慰問に関して、こんなエピソードがある。山健組を設立する以前、山本健一がまだ山口組の若い衆だった1953(昭和28)年1月、世にいう「鶴田浩二襲撃事件」を起こした。
きっかけは神戸芸能社を設立して興行も手がけていた田岡一雄三代目が鶴田のマネージャーに「美空そらひばりと鶴田のジョイント公演」をオファーして断られたことだ。