富太郎が生まれた頃の佐川では、改名という風習があった。「家名」といわれる生まれた時に与えられた名前を、のちに別の名に改める習慣である。両親、祖父を相次いで喪う不幸が続いたことから、心機一転と運が開けることを願った浪子は、彼の名を家名の「誠太郎」(臍の緒袋の表書きでは「成太郎」と記されている)から「富太郎」に改名する。「牧野富太郎」の誕生である。
彼が富太郎に改名された1868年は、奇しくも265年間続いた江戸幕府が統治権を天皇に返上し、武家政治に終止符が打たれ、社会のしくみも革(あらた)まった、新しい年の始まりとなった明治元年である。偶然とはいえ、何か因縁深いものを感じるのは筆者だけではないだろう。