3歳でバイオリンに興味を持ち、中学生で全国大会を制覇。将来を嘱望されていた天才少年は、大人になってなぜデリヘルドライバーという仕事に行き着いたのか? 作家の橘玲氏の新刊『シンプルで合理的な人生設計』より一部抜粋してお届けする。(全3回の3回目/#1、#2を読む)
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デリヘル(デリバリー型ヘルス)は性風俗の一形態で、デリヘルドライバーはその名のとおり、デリヘル嬢を客の自宅や宿泊しているホテルに派遣(デリバリー)する仕事だ。ライターの東良美季(とうらみき)さんはそんな男たちに興味をもち、「東京の闇を駆け抜ける者たち」に話を聞いた。そのなかに「バイオリン」という章がある(東良美季『デリヘルドライバー』駒草出版)。
中学生の全国大会で優勝
風見隼人(かざみはやと)の親は千葉県庁の職員をしていた共働きの夫婦で、船橋市の公営団地で育った。母親は若い頃音楽大学に通っていて、自宅にはアップライトのピアノがあった。母の弾くピアノを子守り歌に育ったからか、風見は3歳のとき、テレビでオーケストラの演奏を見て第一バイオリン奏者を指差し、「ボク、あれをやってみたい」といったという。
喜んだ母親が町内にあったバイオリン教室に息子を通わせると、「この子は私のところで習わせるにはもったいない。もっと専門の、有名な先生につかせた方がいい」と助言された。そこで小学校1年から、東京の講師のところに週1回、1時間かけて通うようになった。
風見には誰もが認める才能があり、小学校6年生のときにはじめて出場した全日本学生音楽コンクールの東京地区大会本選では「指がもつれて」失敗したものの、リベンジに挑んだ中学生の部の全国大会では満場一致で優勝した。
高校から桐朋学園大学音楽学部の系列校に入学すると、一学年100人ちかくいるなかで男子は3人だけだった。風見は日鼻立ちのはっきりした美少年だったが、人気があったのは容姿が理由ではないという。まわりの女の子たちも音楽家なので、彼の才能をたちまち見抜いて憧れたのだ。
2学年上の女子生徒に「襲われるようにセックスし」て初体験をすませた頃、風見の父親が訪ねてきて、どちらの親とも血がつながっていないと告げられた。夫婦は子宝に恵まれず、親しくしていた産院の院長に「ご縁があったら」と頼んでいたところ、赤ん坊を身ごもった女子大生が現われ、出産したあとに姿を消したのだという。