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 だがこの話を聞いても、風見はまったくといっていいほどショックを受けなかった。中学の頃から、家に遊びにきた友だちに「お前、親と全然顔似てねえな」といわれ、薄々そうじゃないかと思っていたのだ。

 バイオリニストとして成功するには、若手音楽家の登竜門である日本音楽コンクールから、モスクワで開催されるチャイコフスキー国際コンクールや、ベルギーのブリュッセルで開催されるエリザベート王妃国際音楽コンクールで受賞し、凱旋しなければならない。「クラシックの演奏家って、日本一程度じゃダメなんです。ましてや学生日本一なんてまったく話にならない」のだ。

 だがここで、風見は伸び悩みはじめた。自身の才能に疑いをもつようになったのだ。

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「要するに上には上がいるってことですよ。世の中には本物の天才ってヤツがいるんです」と風見はいう。それに加えて、彼には金と努力が決定的に欠けていた。

夜の街・歌舞伎町の誘惑

 風見は、奨学金をもらい、学費も免除されてはいたが、それでも寮費や生活費は必要で、親から仕送りをもらいながら、新宿・歌舞伎町のディスコの黒服など、水商売のアルバイトを始めた。「ちくしょう、俺にも金があればバイトなんかせず、全生活を練習にあてて、何十時間でもバイオリンに没頭できるのに」と唇を噛み、夜の仕事を続けた。

写真はイメージ ©getty

 しかしその一方で、夜の歌舞伎町は魅力的だった。端正な顔立ちと、バイオリン専攻の音大生という肩書は女の子たちの気を引き、ディスコで踊っていれば派手なボディコンシャスに身を包んだ女たちに声をかけられ、酒を飲み、セックスを楽しむことができた。風見は、「一流の演奏家になりたい、そのためにはもっと練習したい」という気持ちと、夜の世界が誘う甘美な魅力に引き裂かれた。

 22歳のとき、風見はすべてを断念した。夜の遊びも金の使い方も激しくなり、「まったく違った道を目指してやれ」と、音大を退学してホストの道を選んだのだ。

「3歳のときからずっとバイオリン一筋だったわけですよね。つまり約20年間、少年時代と青年時代のすべてを音楽に捧げていた。それを、そんなに簡単に捨て去ることができるものでしょうか」と訊かれて、風見はこう答えた。