暗い背景に白く浮かび上がる男女は、ある文学作品に登場する有名な恋人同士の亡霊です。その文学作品とは、13~14世紀に活躍したイタリアの詩人ダンテの『神曲』。描いたのはフランスで活躍したオランダ出身のシェフェール(1795~1858)という画家です。本作はシェフェールが1835年に発表した作品の、画家自身の手で複数制作されたレプリカの一枚。それほどこの絵に人気があったということです。
『神曲』の作中主人公はダンテで、「地獄篇」で彼が尊敬する古代ローマの詩人ウェルギリウスの案内で地獄を旅することになります。そしてこの絵の舞台は情欲に溺れた人が堕ちる地獄の第二圏。2人は画面右端に少し暗めに描かれていて、赤いフードがダンテ、月桂樹の冠をかぶっているのがウェルギリウスです。
第二圏では、クレオパトラやトロイ戦争の元凶ヘレネーらが黒紫の暴風に永遠に翻弄され嘆き叫んでいて、その中でダンテはパオロとフランチェスカの亡霊に出会うのです。ダンテは『神曲』の中で彼らの姿を描写していませんが、シェフェールは2人を裸体で、さらに白い布で包むことで非常に明るく描き、黒い背景の中で彼らがこの絵の主役だと分かるようにしています。
2人は実在の人物で、フランチェスカはリミニ僭主の息子ジャンチョットと政略結婚させられました。フランチェスカの亡霊が作中で語るところによると、夫の弟パオロと恋に落ち、それが夫に露見し、もろともに夫に殺されたのでした。本作では、彼らの胸と背中にそのときの傷を描くことで、地獄堕ちの理由を仄めかしています。
シェフェールはすっきりした構図が得意で、この場面での人物たちの状況や関係性が直観的に把握できる構成になっています。地獄の渦に巻かれる2人以外の亡霊たちを靄状に描いて省略することで、4人の登場人物を際立たせています。また、パオロたちが対角線上にうねるように占めることで、彼らが翻弄されている様がよく分かり、一方のダンテたちは上半身のみで垂直性が強いことから、彼らとは距離を置いていることが見てとれます。
表情にも立場の違いがはっきりしていて、フランチェスカは目をつぶって涙を流し、パオロは苦しそうにのけぞって顔を覆い隠しています。それに対し、ウェルギリウスは思案顔で、ダンテは厳しい表情でじっと見つめています。
フランチェスカとパオロの画題は19世紀に盛んに描かれますが、それは2人の悲恋の抒情性が当時の人の心に強く訴えたからです。もっともそれは、そのような恋愛に対して否定的だった『神曲』作者ダンテの意図からは離れたものでしたが。
シェフェールが晩年まで取り組み続けた「地上の悲しみ」に、本作のパオロとフランチェスカにそっくりな人物達が、天へと手を伸ばす姿で登場しています。シェフェールは彼らに救われて欲しいと願っていたのではないでしょうか。
INFORMATION
「ルーヴル美術館展 愛を描く」
国立新美術館にて6月12日まで
https://www.nact.jp/exhibition_special/2023/love_louvre/