1ページ目から読む
2/4ページ目

ほしの いつか自叙伝を書けるようなことがあったら、書きたいと思っていたことでした。「口唇口蓋裂」という病気をいろんな方に知ってほしいという思いもあって。ただ、人に笑ってもらうお笑い芸人という職業なので、病気のことを公言したら、お笑いがやりづらくなるんじゃないかという不安もずっとありました。

 書くならもっと有名になってからの方がいいのかなとかいろいろ迷ったのですが、書籍のお話をいただける機会なんてそうそうない。だったら、このチャンスをいかして書かせていただいたこうと思ったんですよね。

――本を読むと「口唇口蓋裂」がどのような病気なのか、とてもわかります。

ADVERTISEMENT

ほしの 人から笑われたり、発音といいますか、会話もうまくできなかったりします。僕は、ミュージシャンにあこがれを抱いていたのですが、自分の容姿やうまく歌えないことを理由にあきらめました。

 でも、小学生のときに出会った『笑う犬の冒険』を見て、お笑いに救われたんですよね。それを機に、芸人になりたいという思いが芽生えていきましたね。

©佐藤亘/文藝春秋

お笑いに目覚めたコント

――原田泰造さんと堀内健さんが演じる「テリー&ドリー」のコントが、特に響いたと書かれています。

ほしの 「生きてるって何だろ」「生きるってな~に」って掛け合いをするんですけど、笑えちゃったんですね。「生きる」という言葉にさえ触れたくないくらい生きるのが嫌だったのに。もしも笑いに変えられたら、生きることへの悩みがとてつもない前フリになるかもしれない……そう考えると「面白いって楽しい」って思えました。

 でも、僕の容姿や性格を客観視したとき、「芸人になりたい」と言ってもバカにされるだけということも分かっていました。

――ところが、『田舎に泊まろう!』のロケで、レギュラーの松本康太さんが、ほしのさんの実家に泊まったことで転機が訪れた、と。

©佐藤亘/文藝春秋

ほしの 高校1年生のときでした。松本さんと出会ったことで、親に「芸人になりたい」と伝えられると思えたんですよね。もし、松本さんがいらっしゃっていなかったら、どのタイミングで言えていたんだろうって今でも思います。有名になってやるという夢をあきらめていた可能性だってある。松本さんには感謝しかないんです。

あえて吉本に入ったわけ

――お笑い芸人を志すにあたって、ほしのさんはNSC(吉本総合芸能学院)東京校15期生として入学します。ネガティブな性格を考慮すると、お笑いの最大手である吉本興業、その養成所の門を叩くというのは意外な気もします。なぜ、あえて王道を?