マイナスなこともすべて笑いに
――そうしたほしのさんのNSC時代もつまびらかにされている『星屑物語』ですが、私個人が驚いたのは、八方ふさがりの状況にもかかわらず、芸人を続けようとするほしのさんの意思の強さです。なぜ、踏みとどまることができたのでしょうか。
ほしの 辞めたいという気持ちって一回もなくて、どんなに結果が出なくても……なんていうんですかね、使命感というか、「自分の人生の中で絶対に何か起こしてから死にたい」という気持ちがあったんです。ずっと売れなかったとしても、“売れない芸人”としてドキュメンタリー系の番組に出られるかもしれないとか、ちょっとしたプラス思考でなんとかやりくりしていました(笑)。
やっぱりお笑いって、どんなマイナスなことでも全部笑いに変えることができる、本当に素敵な職業でして。若手時代にすごく悲惨な下積みをしていたとしても、後々、「面白いこと」にひっくり返る可能性がある。どんなに苦しかったとしても、考えれば考えるほど今が面白いと感じられて、続けられたところがあります。
――芸人になってからも、ロックマン的思考が役に立ったわけですね(笑)。
ほしの そうですね(笑)。スベッてもまた生き返ればいい。数え切れないくらいスベりましたけど、ははは。2機目の人生だと考えるようになった頃――ちょうどお笑い芸人になりたいと思い始めた頃ですが、何度目かの「口唇口蓋裂」の手術をするために入院しました。
そのとき、同じような病気の方と同室だったのですが、そこに小学生の女の子がいたんですね。少し仲良くなって、手術の前日の夜にお話ししたんです。「お互い辛い手術があるけど乗り切ろう」みたいな話をする中で、人のためになりたいなという気持ちがすごく芽生えて……そういう思いもあって続けられたんだと思います。
吉本の同期には今でも敬語
――吉本時代は芽が出なかった。ですが、「パーパー」として結果を出し、同期である鬼越トマホーク、おかずクラブ、ニューヨークなどと共演するまでになりました。すごいことだと思います。
ほしの みんな養成所のエリートで、その人たちと一緒に番組に出られたときは、すごくうれしかったです。同期なのに今でも敬語を使っちゃうくらいです。
当時って、やっぱり顔のことでいじられることもあったんですけど、今、テレビに出ている同期はそんなことは言わなかった。やっぱり良い人はちゃんと残るんだな、やさしい人だけが残る世界なんだなってあらためて思います。
僕も決して人間的にほめられたものではないので、自分自身、いつ消えるかビクビクしていますけど、自分の人生の中で大きな目標の一つだった自叙伝を出すことができました。いろいろと自分をさらけ出すことができ、今は達成感に満ちあふれている日々がずっと続いているんですよね(笑)。
その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。