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500人に1人、先天性の病気を公表…芸人・ほしのディスコを救った“あるコント”「マイナスなことでも全て笑いに」

ほしのディスコさんインタビュー #1

2023/05/20

genre : エンタメ, 芸能

note

ほしの 何と言いますか、“正面突破”というか、自分の中では障害がどれだけハンデになるんだろうという不安がとてもありました。ですから、小さいところから始めてしまうと、障害のほうが上にきてしまって、芸人であることが目立たなくなってしまうんじゃないかって考えたんです。芸人として正面突破で笑わせたかった。有名なところに行って、芸人として評価されたいというのを目標にしてがんばっていました。

――めちゃくちゃしっかりしているというか、合点がいきました。

ほしの ボーッとしていると思われがちなんですけど、ちゃんと計算して生きているタイプなんです(笑)。吉本さんにはいろいろなタイプの芸人さんがいらっしゃるので、受け入れてくれるのかなというのもありました。

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 ただ、実際に入ってみると、自分の実力不足ということもあるんですけど、「自分がどう見られるんだろう」というのが一番のネックになって……。元気にネタをすることが、逆に痛々しく映ってしまわないかなとか、他の芸人さんから学んだことを自分がやっても面白く見えないんじゃないかとか考えてしまって。

 僕だけが問題視しているお笑い観みたいなものですから、誰にも相談できなくなっちゃって。勝手に孤独になっていました。

©佐藤亘/文藝春秋

結成3年でコンビ解散

――ほしのさんは、NSC卒業後、「カーディガン」を結成し、約3年活動します。相方さんは、病気のことは知っていたのですか?

ほしの 知っておいてもらった方がいいと思い、伝えていました。とはいえ、お互い話し合っても糸口が見つからないというか、生かす手段も思いつかなかったです。笑いを取るという技術もなかったので、何が正解かわからないまま3年が過ぎ、ようやく少しだけ笑いが取れるようになった頃に解散になってしまいました。

――現在の「パーパー」では、基本的にほしのさんが、あいなぷぅさんからダメ出しをされる、理不尽な要求をされる、バカにされるという構図があると思います。「カーディガン」時代というのは?

ほしの いわゆるボケとツッコミみたいな感じで、今とは全然違いました。いろいろ試した結果、最終的に行き着いたのが、ちょっと陰湿というか、腹黒さみたいなものを利かせたニッチな笑い。

 意外と自分に合ったので、そういうニュアンスを取り入れて、少しずつ笑いが作れるようになった矢先に解散することに……。解散したときは、誰も組む人がいないし、結果も何も出していない。誰も自分なんかと組んでくれないって思っていたのでつらかったですね(苦笑)。