「お笑いが、僕の人生の全てを救ってくれた」。お笑いコンビ「パーパー」ほしのディスコによる自伝的エッセイ『星屑物語』には、そう綴られている。
お笑いだけでなく、今では歌手としても注目を集める彼の夢への道のりは、先天性の病気やコンプレックス――順風満帆とは程遠いものだった。星屑はいかにして輝いたのか? 光の見つけ方を聞いた。(全2回の2回目/最初から読む)
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――吉本興業を辞めた後、マセキ芸能社を目指します。ほしのさんが大きな影響を受けた『笑う犬の冒険』。その番組を牽引していたウッチャンナンチャンさんが所属する事務所です。
ほしの 吉本には友だちも相方になるような人もいなかったので、一回リセットしたいというか、なかったことにしようと(笑)。どこに行こうかと考えたとき、きっかけとなったウッチャンナンチャンさん、尊敬するバカリズムさんがいらっしゃるマセキ芸能社に入りたいと思いました。環境を新たにして、心機一転、再スタートを切りたかったんですね。
――これまた大きな影響を受けた『ロックマン』よろしく、2機目の芸人人生をスタートさせたと。
ほしの 『ロックマン』さまさまですよね。
イキった兄貴キャラで奮闘したが…
――マセキ芸能社では、あいなぷぅさんと「パーパー」を結成します。どういった経緯で?
ほしの マセキの養成所では、同期が30人ほどいたのですが、当初は男性とコンビを組んでいました。でも、しっくりこなくて。そんな中、2人だけ女性がいまして、その一人があいなぷぅでした。不思議系の女性だったので、組んだら面白くなるかな――と思って、声をかけたという感じですね。
僕は、すでに芸歴的には4年ほど先輩だったので、デビューを成功させようと思い、めちゃくちゃイキっている先輩風のキャラでいったんです。吉本時代、何回も失敗しているので、スタートダッシュを成功させないとなめられると思って。
それで、「俺は芸歴が4年あって、ネタも書ける」みたいな感じでいったところ、同期の中で兄貴キャラを確立することに成功しました(笑)。このイキリ感をなくすと、すべてのメッキがはがれると思ったので、めちゃくちゃ努力しようと。この頃が、人生でもっともお笑いに時間を費やしていたかもしれないです。
――ストイックさが、何か間違っている(笑)。
ほしの 見せかけの自分を壊さないために努力するしかなかったんです(苦笑)。ライブでも毎月1位を取れるようにがんばった結果、自分たちでもびっくりするくらいとんとん拍子で上がれるようになっていったんですよね。