「石油ストーブから出た火はバケツの水で消せる」――1968(昭和43)年2月に発売された生活雑誌『暮しの手帖』93号は、独自に行なった実験からそう結論づける記事を掲載、新聞や電車の中吊りでも大々的に広告した。しかしこれに対して東京消防庁が、「石油ストーブの火事は、まず毛布をかけて、次に水」と指導してきた立場から反論、文字どおりの“水かけ論争”となる。果たしてどちらの主張が正しいのか? 論争に終止符を打つため、自治省(現・総務省)消防庁が2月21日・22日の2日間にわたり公開実験を行なった。いまから50年前のことだ。

当時の『暮しの手帖』編集長・花森安治 ©文藝春秋

『暮しの手帖』はその2年前の1966年、実際に一軒の住宅を燃やして、火事のテストを行ない、消防車が来るまでに、個人でどこまでなら火が消せるのか、どんな方法をとればいいのかを検証していた(同誌87号)。このとき、石油ストーブが倒れるなどして火が出た場合、バケツの水で消すのがいいとの結果が出る。しかし世間一般では「水と油」という考えがあり、石油ストーブの火に水は禁物と言われていた。そこで今度は石油ストーブに限って、再び火事のテストを、畳やじゅうたん、板の間など床材を変えながら前後60回行ない、例外なく水で消えるという確証を得る。同時に毛布で押さえる実験もやってみたが、かぶせた隙間から炎がはい出すなどして、かえって火を大きく広げることが多いと結論づけた。

 だが、この記事について、東京消防庁の予防課主任は《水を下手にかけたら灯油は燃え広がる。雑誌でいっているのは実験室内の小理屈ですよ》と、新聞紙面で真っ向から否定。一方、当時の『暮しの手帖』編集長・花森安治(当時56歳)は、消防当局に対し《こちらがやったようなテストさえやったことはなく、経験論だけを振回している。率直に反省して初期消火の科学的研究をすすめ、その結果を家庭に十分PRすべきではないか》と批判した(『朝日新聞』1968年2月7日付)。

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『暮しの手帖』に軍配。花森は「四年にいちどの記念日にしようや」

公開実験を報じる当時の新聞記事(1968年2月21日毎日新聞朝刊)

 自治省消防庁による公開実験は、日本消防検定協会の消火実験室(東京都三鷹市)で、条件を変えながら計29回行なわれた。現場には消防関係者、報道陣が集まり、花森も暮しの手帖社の大橋鎭子(しずこ)社長や編集部員らとともに一部始終を見守った。結果は2月29日に発表され、水による消火の効果を認め、事実上、『暮しの手帖』側に軍配が上がる。これに花森たちは、実験方法に公正に欠ける面があったとしつつ、《結論をあいまいににごさず、一応はっきりしたものをだしてくれたことには敬意を表する》とコメントした(『朝日新聞』1968年3月1日付)。もっとも、花森は編集部員には素直に喜びを表し、結果が出たのがうるう日だったことから《四年にいちどの記念日にしようや》と言うほどだったという(酒井寛『花森安治の仕事』暮しの手帖社)。じつは彼はその2年前に火災で自宅が全焼していた。火事に関する一連のテストは、そうした苦い体験による花森の執念が生んだともいえる。