NHKに殺到「園児たちがノッポさんじゃないと観ない」
転機は1966年、NHK教育テレビの「なにしてあそぼう」に知人の紹介で起用されたこと。言葉を一切話さないノッポさんが造形遊びをする内容だった。
「約4年後、好評だった番組が『できるかな』にリニューアルされた当初、実は高見さんが出演していなかったんです。ところが、幼稚園や保育園から『園児たちがノッポさんじゃないと観ない』という声がたくさん届いて、番組に復帰したんです」(前出・古家氏)
はまり役の「できるかな」は、20年続く人気番組に。実は、高見氏は手先が不器用だったという。
「音楽に合わせて一生懸命に作る。だから完成した時の笑顔は、毎回心から嬉しそうなんです。その楽しさが画面を通じて伝わっていたと思います」(同前)
晩年の趣味は読書と麻雀
番組終了後も人気は衰えなかった。講演やイベントで、チューリップハット姿の高見氏が登場すると、会場の大人たちは“小さい人”に戻って感激したという。
自ら作詞した「グラスホッパー物語」で歌手デビューを果たした05年、芸名を「高見映」から「高見のっぽ」に変えている。
趣味は読書と麻雀。20年来の麻雀仲間が明かす。
「一人勝ちするような展開を望まず、場を楽しみ、品格がにじみ出ている麻雀でした。亡くなる1カ月前も卓を囲みました」
心不全で永眠したのは昨年9月10日のことだ。
「特に持病もなく、亡くなる当日も大好きなお肉を食べるなど元気な様子で、親子イベントの仕事も入っていたんです」(前出・古家氏)
30代で大輪の花を咲かせ、生涯現役を貫いた高見氏は、予告通り、風のように逝った。
現在配信中の「週刊文春 電子版」では、高見氏のトレードマークとなったチューリップハットに隠された秘話、90年3月に迎えた人気番組「できるかな」最終回の知られざるエピソード、晩年を知る人々が明かした逸話などを詳しく報じている。