名門野球部での挫折
文春野球読者のみなさま、はじめまして。阿出川浩之と申します。ジャイアンツの魅力を知って、ファンになる方が少しでも増えてくれたらいいなぁ。そんな思いを抱きながら、私はフリーアナウンサーとして活動しています。
私自身、長嶋茂雄さんの熱狂的なファンだった父の影響で、幼少期からジャイアンツファンでした。自宅から水道橋の後楽園球場へ。原辰徳さんら憧れのスターに声援を送っていました。
野球を始めた私は、投手としてプロ野球選手になりたい夢を持っていました。ところが、そんな夢は高校であっけなく散ってしまいました。
私が入学したのは、東京の名門・帝京高校です。野球部に入って、周りは知らない人ばかり……と思いきや、親しげに会話している1年生がいました。
「おう、ハワイ以来だな」
「●●の選抜で一緒にやったよな」
中学時代から活躍する同級生は、トップ同士ですでに交流しているのです。私は自分がとんでもない世界へ来てしまったと感じ始めました。
1年夏に甲子園のアルプススタンドへ応援に行き、その思いはさらに強くなりました。帝京はエース・吉岡雄二さんの活躍もあって、決勝戦に進出。仙台育英のエース・大越基さんとの投げ合いを制して、全国制覇を成し遂げてくれました。
先輩達が築き上げた歴史を胸に、強豪校であり続けるため、日々の練習が厳しいのです!
それでも、なんとか1年間はやり通しました。そして2年生になって、ある出来事が起きました。
私は入部してきた1年生とキャッチボールをすることになりました。先輩ヅラして「無理しなくていいよ」と言ってキャッチボールを始めたのですが、距離が遠ざかるにつれ私は異変を覚えました。1年生は軽々と遠投しているのに、私は全力で投げても届かない。「無理」しているのは私のほうでした。
この1年生のボールを見て、私の心は音を立てて砕け散りました。「こういう選手が上の世界へ行くんだな」と悟りました。その1年生の名前は三澤興一さん。2年後の春のセンバツ優勝投手で、早稲田大でもアトランタ五輪銀メダリストに。プロでもジャイアンツなど4球団に在籍し、通算296登板と活躍されました。
残念ながら肩を壊したこともあり、野球部を辞めた私ですが、その後もジャイアンツファンとして野球を応援し続けていました。吉岡さんと三澤さんがジャイアンツに入団したことも、応援する原動力になりました。
ジャイアンツへの思いのひとつとして、強さへのあこがれ。
そしてもうひとつは、これだけ強くても思うように勝てない苦悩。
帝京でも感じることはありました。吉岡さんや三澤さんだけでなく、周りは中学野球のスターだらけ。とても人間とは思えない練習量をこなし、頑張っているのに毎年甲子園に行けるわけではないのです。
いくらすごい人たちが努力したからといっても、必ずしも勝てないんだな……。
帝京で見た世界とジャイアンツが重なるところもありました。負ければ悔しいけど、その代わり勝った時は何倍もうれしくなる。どのチームのファンの方も同じ気持ちだと思いますが、私はますますジャイアンツにのめり込みました。