「病は気から」という言葉がある。

 私も子どもの頃、学校に行きたくない時はなぜか急にお腹が痛くなったものだ。また、女子野球で現役ピッチャーの今も、一度腰が痛いとか肩が痛いと思うと一日中気になってしまう。ちょっとした痛みであっても、気持ちの持ち方によってはめちゃくちゃ痛いような気がすることだってある。一方、体調が良くないと思っても、「頑張るぞ」とせかせか働いていたら意外と大丈夫だったというようなこともあったり。何とも人間の脳と身体は上手いこと出来ているなと思う。

 この春、自らに強く言い聞かせるように「大丈夫です」「大したことないです」と周囲にも元気だとアピールしていた選手がいた。

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 育成2年目の川村友斗外野手だった。

PayPayドームで躍動した支配下登録の “筆頭候補”

 仙台大学から2021年育成ドラフト2位でホークスに入団。打撃センスの高い左打ちの外野手で、勝負強さと長打力を兼ね備える。北海高校時代には甲子園で2試合連続の本塁打を放つなどインパクトを残した。大学時代は、仙台六大学で首位打者、本塁打王、打点王など4年間で数々のタイトルを獲得。大学でも全国の舞台で一発を放っている。

 そして、プロ入りしてからもすぐにそのポテンシャルの高さを見せ付けた。1年目の春季キャンプ、ロングティーで驚異の飛距離を披露し、首脳陣の度肝を抜いた。チームメイトからも「ロンティーオバケ」と言われるほどだった。

 だけど「凄く飛ばしてましたね」などと声を掛けると、「本当っすか。ありがとうございます」と言いながらペコペコする(笑)。効果音を付けられるなら、「ヒョコヒョコ」とか「ペコペコ」とか、そんな音が良く似合う。語尾が消えそうな謙虚で控えめな照れ笑いが印象的だが、それと圧倒的な飛距離のGAPがまた面白いのだ。

 1年目は目立った成績を収めることはできなかったが、2年目を迎えたこの春、支配下登録への “筆頭候補”に躍り出る活躍を見せた。

 1軍オープン戦で大暴れしたのだ。

 12試合に出場し、打率は3割5分7厘。3月5日の広島戦で1軍“初出場”すると、途中出場なのにマルチ安打。8日のヤクルト戦では“初適時打”に外野からの好返球も披露。同点で迎えた9回二死満塁のサヨナラのチャンスでは、“幻のサヨナラホームラン”も放った。わずかにポールの外側だったようでファウルに。結局三振に倒れ残念だったが、翌9日の同カードで、前日の悔しさを晴らすソロ本塁打を“打ち直して”きっちりアピール。「オープン戦は川村のためにあるのか」と思ってしまうほど、3桁の背番号がPayPayドームで躍動した。

 当初、1軍に呼ばれたのは「経験のために」と言われていた。でも、チャンスはチャンス。次第に「経験のために」と言われることにも悔しい気持ちがにじみ出てきた。

「この時期に上の人に見てもらえるのはチャンス」

 最終的には藤本博史監督も「支配下にほぼほぼ近くなってきたんじゃないですか」とその能力を認めていた。それでも、外野手の争いは熾烈すぎたため、開幕前の支配下登録は叶わなかった。川村選手は「(オープン戦は)もう過去のこと」と2軍でしっかり結果を残そうと気持ちを切り替え、2年目の今季に挑んだのだった。

川村友斗 ©上杉あずさ

「骨折らしいんですけど……」

 しかし、4月下旬のことだった。

「大丈夫です」

 そう言いながら、リハビリ組に現れた川村選手。

 左腕には、頑丈そうな黒いギプスが付いていたのだから、思わず突っ込まずにはいられなかった。「全然大丈夫そうじゃないですけど」……。

 それでも、川村選手は「いや、大丈夫です」と笑顔を見せた。

 球団広報さんも一度は「川村は体調不良です」とはぐらかした。

 そうか……。

 でも、やっぱり大丈夫そうには見えなかった。もう一度、広報さんに確認すると左肘を骨折していることを認めた。4月23日のウエスタン・リーグ広島戦で受けた死球の影響で骨にひびが入った、つまり亀裂骨折だった。

 広報さんは「2週で戻ります」と強く宣言する川村選手の気持ちを汲んで、極力おおごとにはせず最短復帰を後押ししようという意図で、一度はカモフラージュしたことを後日明かしてくれた。

 2週間ではなく3週間後だったが、5月14日の4軍戦で実戦復帰。そしてすぐに2軍戦に戻ってきた。1週間延びたとはいえ、骨折からの復帰とすればそれでも早い。

 そこで改めて川村選手に声を掛けてみた。

「いや、骨折らしいんですけど……」

 いつものように謙虚に控えめに照れ笑いして首を傾げてみせた。

 これはもしや、「俺は(骨折を)認めてないからな」と言わんばかりに“骨折らしい”という表現だったのか。もし、まだまだ暗示をかけているのだとしたら、治ってないのかな?

 気になっていたら、試合後に小久保裕紀2軍監督がその“真相”を明かした。

「川村には骨が折れた時点で、骨がくっつくまで待たなくても、自分がいけると思ったら言ってこいと伝えていたので」

 やはり怪我が完治したわけではなかった。通常だと2週間安静のはずが3週間ほどで実戦復帰したのだからそりゃそうか。だけど、小久保2軍監督は「レントゲンを撮ったらまだ折れていますけど、プレーできるからここに来ているんで『絶対使ってやる』って」と力強く言い放った。

 小久保2軍監督は現役時代、不撓不屈の精神で戦っていた人だ。選手に常々「強さ」を求めている。体の強さはもちろん、心もタフでなくてはならないという。

「だって痛い痛いって言って、骨がくっつくまで待っているやつばかりなんで。そんなやついらんから。『骨は後遺症ないから痛みさえ我慢できればプレーできるから、言ってこい』って言ったら、(川村は)だいぶ早く言ってきました」

 川村選手自身も小久保2軍監督から掛けられた言葉に奮い立ったと話していた。