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新人時代はとんとん拍子だったけど…元巨人・高木勇人がそれでも独立リーグのマウンドに立ち続ける理由

文春野球コラム ペナントレース2023

2023/06/04
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 今の巨人には1989年生まれの僕の同級生がたくさんいます。でも、試合を見るとあまり出ていなくて……。そんなことを言うと彼らに怒られてしまうんですけど(笑)。同時期にプレーした仲間には、試合に出て頑張っている姿を見せてもらいたいですね。

 僕はいま、国内独立リーグ・ルートインBCリーグの神奈川フューチャードリームスでプレーしています。NPBを離れて4年目に入り、「どうしていまだにマウンドに上がり続けるの?」「どこにモチベーションがあるの?」と疑問をお持ちの方もいるかもしれません。今回は巨人時代の思い出を含めて、僕の思いを書かせていただきます。

高木勇人 ©文藝春秋

6回目の挑戦で開いたプロへの扉

 僕が巨人にいたのは、2015年からの3年間です。そう振り返ると短いですが、僕のなかでは本当に長く感じました。7年間もいた社会人野球はあっという間に過ぎたのに、NPBでの時間は「あれ、これしかやってないの?」という感覚です。

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 こう言うと「プロに入るまであんなに時間がかかったのに?」と思う人もいるかもしれません。僕は高校3年時を含め、ドラフト会議で5回も指名漏れしているからです。

 ドラフト会議当日。自分のために会社のお偉いさんたちが集まって、期待がふくらむなかで「今年もダメでした」と頭を下げる。そんな地獄の光景が毎年続くのを想像してみてください。でも、指名されないということは、自分に何か足りないということ。最初は力任せに速いボールを投げるだけでしたが、毎年指名漏れを味わうたびに「自分には何が足りない?」と課題と向き合ってきました。

 ドラフト会議直前になると、ドラフト候補には「調査書」と呼ばれる紙が渡されます。球団ごとに様式は異なるのですが、だいたい「アピールポイント」を書く欄があります。僕は毎年指名漏れに終わっているので、何を書いていいかわからなくなりました。最終的にアピールすることがなくなり、「誰とでも仲良くなれます」と書いたところ、巨人からドラフト3位で指名されました。2014年、僕が25歳の秋でした。

 5回も指名漏れしても、「プロは無理だ」と思ったことは一度もありませんでした。「プロに行きたい」という思いでもなく、「プロに行くものだ」と思っていました。今にして思えば無鉄砲ですが、だからこそ頑張れたのかもしれません。

 プロ入り後は、絵に描いたような「とんとん拍子」でした。開幕から先発ローテーションに入り、5連勝。「新人王候補」と取り上げてもらうことも増えました。

 でも、当時の自分には「力を発揮できた」という実感がありませんでした。自分の投球がよかったというより、野手の方々が打って勝たせてもらえたという感覚。つまり、運がありました。

 結果的に1年目は9勝10敗でしたが、むしろ勝てなかったのに「今日はいいピッチングができたな」と手応えがある試合もありました。相手投手がいい投球をして、結果的に白星がつかない試合も多かったからです。

 2年目は5勝9敗、3年目は1勝2敗と勝ち星が少なくなっていきました。肩やヒジは一度も痛めたことがないので、球威が落ちたとは思えません。僕のなかで原因だと感じているのは、ピッチング以外の部分。とくに「バント」です。

 ご存知のようにセ・リーグは投手が打席に入ります。打つ方は期待されていませんが、時には送りバントを決めるのも大事な役割です。でも、僕はバントを大の苦手にしていました。

 そもそも考えてもみてください。NPBの1軍の先発投手なのですから、みんな凄まじいボールを投げてくるのです。そう簡単にバントをさせないぞ……というボールを投げてきますが、周りからは「バントなんて決めて当然」という目で見られるわけです。結果的に僕がバントを決められず、流れをつくれずに勝てない試合が多かったような気がします。

 勝負の年だったプロ3年目、調子よく迎えた4月19日のヤクルト戦もバントがターニングポイントになりました。ブキャナンの投じた150キロくらいの猛烈なボールがシュートしてきて、顔の近くにきました。僕はなんとか三塁側に転がそうとバントを試みたのですが、ボールとバットの間に右手の指を挟んでしまいました。せっかく状態がよかったのに、ここで無念の故障離脱になってしまったのです。

 多くの巨人ファンの方は、この故障が命取りになったと思っているかもしれません。でも、ここからはあまり人に言っていないのですが、実は違うのです。指のケガは1カ月半もすると、すぐによくなりました。

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