1ページ目から読む
2/2ページ目

「お参りに行ってこい」と言われるほどの災難

 指が回復して2軍の試合に先発したその2球目、ピッチャーライナーが脇腹に直撃して、肋骨を痛めてしまったのです。恐らく骨が折れていたのでしょう。あまりに災難が続いたので、トレーナーの方からは「1日休んでいいから、お参りに行ってこい」と言われました。結局、この肋骨の治療が長引いて、1軍復帰まで時間がかかってしまいました。

 その年のオフ、僕はFA移籍した野上亮磨さんの人的補償として西武に移籍します。秋季キャンプは斎藤雅樹コーチの指導を受け、サイドスローのフォーム固めに勤しんでいました。サイドとしても、それなりに手応えをつかみつつあったんです。ところが、西武に移籍すると「サイドのキミを獲ったわけではない」ということで、フォームを戻すことになりました。

 ルーキーイヤーの最初はあれだけ噛み合っていた歯車が、いつしか噛み合わなくなっていました。

ADVERTISEMENT

 西武では期待してもらえましたが、結果を残せませんでした。有望な若手先発投手が多く、どんなに状態がよくても出番が回ってこないチーム事情もありました。2019年限りで、僕は戦力外通告を受けました。

 海外でプレーしたい願望があったことから、コロナ禍と向き合いながらメキシコでプレーしました。メキシコから一時帰国した2020年途中から2021年にかけては神奈川フューチャードリームスに在籍。昨季でメキシコへの挑戦に一区切りをつけ、今季からは再び神奈川フューチャードリームスで選手兼任コーチとしてお世話になっています。

提供/神奈川フューチャードリームス

 今年で34歳になる自分がNPBに復帰するのは、現実的に限りなく難しいでしょう。あのイチローさんでも現役プロ選手としては引退したように、年齢による衰えとともにやめるのは当然だと思います。

 それでも、自分のなかでは今も現役選手として100%、コーチとしても100%のつもりでやっています。マウンドに上がるからには、一切妥協したくないのです。

 自分を応援してくれる人がどれくらいいるのかはわかりません。でも、「高木が投げているから見にいこう」という方が1人でもいるなら、その人のために手を抜くことは絶対にできません。

 東京ドームの大観衆と比べれば、独立リーグの観客数はささやかなものです。でも、そこで気持ちが変わってしまったらダメだと思います。独立リーグといってもプロである以上、お客さんはお金を払って見にきてくれています。「今日は見にきてよかった」と思える試合がしたい。それが僕の「プロ意識」なのだと思います。

 そして、その意識は初めてプロフェッショナルに触れた巨人での3年間があったからこそ、芽生えたものです。大好きな東京ドームのマウンドだろうと、地方球場のマウンドだろうと、やることは同じ。

 そんな僕の姿を見て、独立リーグの若い選手が少しでもNPBに近づいてくれたら言うことはありません。NPBと比べたら技術的なレベルは落ちますが、NPBへのチャンスをつかもうともがく選手たちのプレーはきっとみなさんの心を打つはずです。機会があったら、ぜひ球場にいらしてください。

 そして、僕は自分を育ててくれた巨人と一緒に戦った仲間たちの成功を祈りながら、今日もプライドを持ってマウンドに上がります。

◆ ◆ ◆

※「文春野球コラム ペナントレース2023」実施中。コラムがおもしろいと思ったらオリジナルサイト http://bunshun.jp/articles/63001 でHITボタンを押してください。

HIT!

この記事を応援したい方は上のボールをクリック。詳細はこちらから。