ライトスタンドからの大声援、谷保恵美さんのアナウンス。そして、時折スタンドに響きわたる名物コーラ売り・近藤さんの「コーラと烏龍茶、ホットドッグはいかがですかー?」
「ZOZOマリンスタジアムに欠かせない“音”と言ったら?」みたいな問いがもしあったら、ほとんどのロッテファンは、たぶんこの3つを挙げるのではなかろうか。
なかでも、近藤さんは、もはやマーくん、リーンちゃん、ズーちゃんと同じくらいマリンには欠かせないマスコットのような存在。彼のちょっと甲高い、でもよく通るあの声を聴かないと「マリンに来た気がしない」という人もきっと少なくないだろう。
今回はそんな“コーラ売りの近藤さん”こと近藤晃弘さんに直談判。2020年シーズンから続いたコロナ禍の制限によって、この3年、商売道具の“声”をずっと奪われてきた彼に、率直な思いを聞いてきた。
緊張した3年ぶりの“復帰第一声”
「声を出せないっていうのは、やっぱりキツかったですよ。感染対策の一環で、手袋やマスクはもちろん、一時はフェイスシールドまで必須でしたから、すごく窮屈でしたし、パッと見ただけでは誰が誰かもわからない(苦笑)。有観客になって1年半ぐらいは、売り子の人数や、時刻やイニングでの時間制限もあったので、自分なりの目安にしている100杯にもまったく届かないこともザラでした」
開幕自体が3ヵ月近く遅れ、その後もしばらくは無観客試合が続いた2020年シーズン。その“声”どころか、仕事さえをも奪われた近藤さんは、以前から“マリンで試合のない日”のために登録している派遣バイトを日々こなしながら、来たる再開のときを待っていた。
売り子デビューは95年夏の高校野球。迎える2020年は、それからちょうど四半世紀。もし世界が何事もなくいつも通りなら、日本中が東京五輪に沸きたっていたであろうあの年は、近藤さんにとっても積み上げた25年の歳月をひっそりと噛みしめる、そんなメモリアルな1年のはずだった。
「でも僕自身、先のことはふだんからあまり考えないタイプなので、迷いみたいなものは不思議となくて。いまは我慢するしかないのかな、って、ただそれだけ。やっぱり、自分にとって売り子は“天職”だし、喜んでくれるお客さんがいるなら、とにかく一日でも長く続けたい。ここで辞めてしまって、売り子を一生できなくなることのほうが嫌だなって、その思いのほうが強かったんです」
しかも、1976年生まれの“里崎世代”でもある近藤さんは、ハツラツとした声を響かせるスタンドでこそ若見えはするが、正真正銘のおじさん(かく言うぼくも、渡辺正人世代のおじさんだが)でもある。今年で47歳という年齢では、他の道を探ろうにも、高校生や大学生ほど選択肢も多くない。
「実際、若い子のなかには、あの時期を境に見切りをつけて、結局戻ってこなかった子もわりといましたけど、僕の場合はそうもいきませんからね。年齢的なことを考えても、マリン以外で僕を新規で雇ってくれるところなんてきっとない。それに僕自身にとってもマリーンズはすでに人生の一部。マリン以外で自分が売り子をしている姿は、ちょっと想像がつかなかったんです」
そして、3年ぶりに“声出し”が全面解禁となった今シーズン。本拠地マリンには、ライトスタンドの大声援とともに、近藤さんの「コーラいかがですかー?」も戻ってきた。
コカ・コーラのロゴをあしらったおなじみのユニフォームに身をつつみ、冷えたソフトドリンクの販台を抱えて、いつものようにスタンドに立つ。この四半世紀、ずっと繰り返してきたそのルーティンも、3年ぶりの“復帰第一声”だけはさすがにガッツリ緊張した。
「最初のうちはちょっとまだ感覚が戻ってなくて、探りさぐりって感じでしたけど、いまは以前と変わらないくらいには声も張れるようにはなりました。もちろん、ぜんぶが“元通り”ってわけにはいきませんけど、お客さんとの距離も去年までよりはグッと近くなったし、球場をひとつにするあの応援を聴きながらする仕事は、やっぱり格別。
初めてマリンに来たっていうお客さんから、『せっかく来たから、有名な人から買ってみたかったんです』みたいに言ってもらえたりするのも、すごくうれしい。売り子冥利に尽きるって言うか、長く続けてきてよかったなって、つくづく実感しますしね」