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「おじさんを転がせない女性社員」の顛末。“あの日”に戻ってやり直したいこと

2023/06/04

source : 提携メディア

genre : エンタメ

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その後も会社とはたまにやりとりがあった。メディアと元同僚のことは応援していたから、愛想よく従順な皮を被ったまま、年をとってしまった。

あの日やめればよかった

彼女とはその後一度だけ会った。

わたしがコミックマーケットで同人誌を頒布するときに、ちょうど近所で用事があったらしく、立ち寄ってくれたのだ。品川シーサイドのイオンで買ったという爆弾おにぎりなる商品をニコニコしながら渡してくれた。「もうお昼食べちゃった時間だし夜は打ち上げだからこんな巨大なおにぎりは食べられないよ」とツッコミそうになったが、「ありがとう」とだけ言った。出会ったとき口元にチョコクロをつけていた彼女の彼女らしさが、損なわれていない気がして嬉しかった。4歳年をとった彼女の顔はサイゼリヤの天使というには大人びていたが、頬はふたたび林檎色に輝いていた。

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※画像はイメージです

わたしたちはお互いを交換可能な存在のように仕組む人間によって、出会わされてしまった。あのときの傷痕は、まだわたしの中にある。彼女の中にもあるだろう。

ケースは違えどこういう出会いをしている女たちは世の中にたくさんいると思う。仕事に必要という建前のもと、「女」としての機能や見た目を比較される存在。「女らしさ」を難なく武器にできているような女を見ると、近づくのをためらってしまう自分がいる。それは彼女が好きで身につけたものではないかもしれないし、彼女なりの屈託や意思を持って引き受けているものかもしれないと、今ではわかる。彼女には彼女の歴史がある。あるいは「引き受ける」という意識すらなく、内面化させられたものの可能性すらある。

仕事そのものに集中できる立場を得るために、女は自身が職場で期待される「女らしさ」にこたえなければならないことが多い。ほんと馬鹿らしい。でも馬鹿らしいと言えるようになったのは、「おじさんを転がす」ことを女子に求める男性の下での苦役に耐えて身につけた蓄積で仕事をしているわたしだ。本来ならば金銭に還元できるものがこの身に何一つなかったときのわたしで、言ってやりたかった。

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