児童養護施設などで暮らす子どもへの進学支援を行う団体「一般社団法人ゆめさぽ」の代表理事を務め、社会的養護専門情報サイト「たすけあい」の運営なども行っている、社会活動家の田中れいかさん(27)。

 田中さんは児童養護施設出身であることを公表してモデル活動を始め、現在は社会的養護の理解を広めるための啓発・支援活動をしている。2021年12月には、児童養護施設での暮らしを描いた著書『児童養護施設という私のおうち』(旬報社)も上梓した。そんな彼女に、施設に入るまでの経緯や、児童養護施設に対する世間のイメージへの思いなどを聞いた。(全2回の1回目/2回目に続く)

田中れいかさん ©末永裕樹/文藝春秋

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家庭内暴力が原因で児童養護施設に入所

――田中さんは児童養護施設で育たれたとのことですが、入所されるに至った経緯を教えてください。

田中れいかさん(以下、田中) 私が小学1年生の頃ですね。寝室にいると両親がいつも夜中に喧嘩といいますか、怒鳴ったり物を割ったり、お母さんの叫び声が聞こえてきたりする環境で。

 当時、私には4歳上のお姉ちゃんと、3歳離れたお兄ちゃんがいたんですが、ある日、お母さんが耐えきれずに1人で家を出て行ってしまったんです。

 そうすると、お父さんの怒りの矛先が私たち子どもに向くようになって。

――具体的には、どういったことをされましたか。

田中 今の時代には合いませんが「男には暴力、女には言葉の暴力」というような感じです。

――お兄様には、身体的な暴力もあったのでしょうか?

田中 はい。お兄ちゃんが一番叩かれたり、暴力を受けていたと思います。

 私は7歳だったからあまり覚えていないのですが、よく「出て行け」と怒鳴られて、団地の廊下に放り出されたのは覚えています。そんな日々が続くなか「このままでは危ない」と思ったお姉ちゃんが私を連れ出して警察に行ってくれたんです。

 そこから、警察が児童相談所に車で連れて行ってくれて。このまま家に帰すことはできないという判断だったので、1ヶ月半の間、一時保護所で生活をして、それから児童養護施設に入ったというのが、経緯です。

 

一時保護所は学校に一切行けない環境だった

――「一時保護所」では、いったいどのような生活をされたのでしょう。

田中 家、というよりは「施設」のような場所でした。とても細かく日課が決まっていて、順番はあまり覚えていませんが、朝起きて、グランドを走るなど体を動かす時間があって、雨の日は階段を走ったり。

 私が過ごした一時保護所は学校に一切行けない環境だったので、学校で使っているものと同じような机が置いてあって、そこでプリント学習をしていました。