孤独と自然が彼を育てた
田中 植物雑誌にはもちろん、文学や音楽、風俗などの幅広いジャンルの雑誌に寄稿していて、その多くは面白おかしく漫談調で書かれています。それに、植物の観察会や学生への講義などでも終始冗談を交え、残された写真の多くに無邪気なポーズで写っている。あの楽し気な目の奥に、笑うことで紛らわせようとする孤独を感じてしまいます。
牧野 たしかに、撮られるのが好きだったのか、この時代の人にしては珍しくたくさんの写真が残っています。振り向きざまに“決め顔”をしている、芸能人顔負けのブロマイドのようなものまで出てきましたよ(笑)。酒蔵の裕福な家に生まれたボンボンですから、おっとりした天然なキャラクターかと思っていたのですが、そのような解釈は目からうろこでした。
朝井 そういえば、植物だけでなく、女性に熱心な一面もあったと聞きましたが……。
牧野 私もびっくりしたことがあります。これはオフレコですけど、富太郎の病床の横にふすま一枚隔てて寝ていたら、本当に亡くなる数カ月前、彼が看護師さんにしきりに「あなたは美しい」みたいなことを言ってるの。
朝井 オフレコなんてもったいない(笑)。富さんの素顔の大事なところですから載せちゃいましょう。
牧野 私は子供心に「何を言ってるんだ、おじいさんは」と慌てましたよ。
田中 彼が詠んだ歌でこんなのがありますよ。
〈性の力の尽きたる人は呼吸をしている死んだ人〉
って。
牧野 「面白川柳」というノートを作っていて、そこにそういう類のものをたくさん書き留めてあるんですよ。元気の原点だったのかな。
朝井 何の話をしていたんでしたっけ……(笑)。そうそう、私は、故郷の自然そのものが富さんを育てた、富さんも自然から全身全霊で受け取った、ゆえに孤独を自覚する暇がなかったと理解していました。それこそ「心寂しき折節もな」い少年だったのだろう、と。でも今、田中先生の解釈にハッとしました。
田中 もしも両親が健在で友だちもたくさんいて、みんなで遊びまわっている子供だったら、植物をつぶさに観察し、対話することはなかったんじゃないかと思うんですよね。感性が豊かな時期に、「植物と自分だけ」という時間と環境を持てたことがやはり、彼の植物学者としての原点に思えてなりません。
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「素顔の牧野富太郎」全文は、月刊「文藝春秋」2023年6月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。