今泉が聞き返したのも無理はない。今や福井県の“顔”となり、象徴的な存在となっている福井駅前の巨大な恐竜のモニュメント。それが原発の交付金で出来ている。今泉は一瞬、言葉が出ないほど驚く。頭の中で原発と恐竜のモニュメントとがうまく結びつかない。しかし、次の瞬間、しめた、とも思う。
「駅前の恐竜ならば、どんな子だって興味をもってくれる」
毎日、通学の時に見ていた“恐竜”のモニュメント。それが原発の交付金で出来たと知ってから“恐竜”を見る目が変わった。今泉は素朴な疑問を県の担当者に投げかけてみた。
高校生が意見さえも言う場がないから、原発が遠い存在になる
「交付金の使い方に高校生が意見を言える場はあるんですか?」
原発と向き合いはじめてから、今泉は自問自答を繰り返していた。“なぜ今まで自分は原子力に無関心だったのだろうか”“なぜ高校生は原発に興味を持たないのだろうか”。こうした疑問に今泉は1つの答えを出す。
原子力について、原発についていくら調べ、考えても、現実の原子力行政に反映しにくい。もっと言えば、意見さえも言う場がないのが原発だと今泉は考えた。
「こうした環境が高校生から原発を遠ざけ、原発を遠い存在にしてしまっているんじゃないか……」
交付金の使い方に高校生が意見を言える場はあるのか、という質問に対する答えは、「そうした場は設定されていない」というものだった。恐らく福井県だけでなく、他の原発立地県でも事情は同じだろう。
“恐竜”のモニュメントが“希望の光”に
けれども、と今泉は思うのだった。原発に取り組むようになって数多く目にし、また聞かされた言葉があった。「原発を担う次世代のために」「原発は若者も無関係ではない」「原発を担う若者」……。
言わんとすることに間違いはない。原発はどの世代にもかかわりのある問題だ。特に次の時代を作っていく高校生などの若い世代にとっては重要だろう。担うにしろ、担わされるにしろ、これほど重要重要と繰り返し強調される当の高校生が、原発というものに公にコミットする機会がほとんどない。“原発は若者の世代が担う”というスローガンは余りに寒々しかった。
こんな状況だからこそ、“恐竜”のモニュメントは今泉には“希望の光”だった。
「あの、駅前の恐竜が原発で出来ていることを知ってた?」
同級生たちにこう質問した時の反応を今泉は思い描いてみた。きっと、関心を持ってくれる。こう確信した今泉は、県庁まで引率してくれた教員、浅井に頼みこんだのだった。
「先生の社会の授業で、原発交付金についての授業をやらせて欲しい」
今泉はまた一歩、前に出ようとしていた。