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〈原子力発電所の放射能問題について海外の実例や安全審議委員会の審査結果にもとづいて危険がないことを住民が理解し、なっとくしてもらう努力をしなければならない。しかし、公害をなくすというだけでは消極的である。地域社会の福祉に貢献し、地域住民から喜んで受け入れられるような福祉型発電所づくりを考えなければならない。たとえば、温排水を逆に利用して地域の集中暖房に使ったり、農作物や草花の温室栽培、または養殖漁業に役立てる。豪雪地帯では道路につもった雪をとかすのに活用する。さらに発電所をつくる場合は、住民も利用できる道路や港、集会所などを整備する。地域社会の所得の機会をふやすために発電所と工業団地をセットにして立地するなどの方法もあろう〉

 田中の独創的な原発観は時代の要請に応えたものでもあった。契機は第四次中東戦争に端を発したオイルショックである。経済の生命線である石油のほとんどを中東に依存していた日本は、パニックに陥る。石油の輸入が止まるとモノが無くなるという群集心理から日用品が小売りの棚から払底する。スーパーマーケットのトイレットペーパーに群がる大衆の姿はあまりに有名だ。

火力発電の見直しを迫られるなか、スポットライトを浴びたのは…

 これはオイルショックを象徴する出来事だった。テレビ放送はNHKも民放も放送時間を短縮、繁華街のネオンも早い時間に消えた。オイルショック前には5.7%だった一般消費者物価上昇率は昭和48年(1973年)には15.6%とおよそ3倍に跳ね返り、翌年にはさらに上がり20.9%とまさに“狂乱”の物価高となったのだった。この構図は、ロシアのウクライナ侵攻に端を発した資源高に誘発された物価の急上昇など現在も変わってはいない。

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 石油がなくなる――火力発電、つまり石油に依存する発電が主流だった日本の電力は見直しを迫られる。スポットライトを浴びたのが「原子力発電」だった。その原発を電力としてはもちろんだが、地域の経済発展の起爆剤となると見ていたのが田中角栄だった。

美浜原発 ⒸAFLO

 通産大臣(現・経産相)時代から温めていた議員立法を作り上げ、国会の了承を得る。それが、「電源三法」だった。奇跡とも呼ばれた高度成長を成し遂げてきた日本。それは、地方から都市部、特に東京、大阪へ大量の働き手が流入することによって支えられていた。地方は人口流出に加え、大都市圏への経済の集中により疲弊し続けていた。そうした状況の中、原発立地地域への「電源三法」による交付金は乾いた大地を潤す慈雨に映ったはずだ。