福井南高校に通う1年生、今泉友里は東京の高校生らが作った原発を題材にした映画に触発され、原発立地県の高校生の1人として原発に向き合い始めていた。

 使用済み核燃料を処理、保管した上でそれを地層深くに埋め込む「地層処分」について生徒だけでなく、教員らも巻き込んでの「特別授業」を行った。学校としても画期的な出来事だった。生徒が教壇に立ち、自分が調べ考え悩んだ結果を開陳し、同級生らとともに考えていく。重要なのは回答を求めることではなく、考えることであり、その七転八倒する過程こそが大事だと教員が導いていた結果でもあった。

“原発とお金”の関係性

 不登校だった中学時代には見えなかった風景が今泉には見えるようになっていた。“原発”という新たな扉の向こう側には、今泉が知らない、まったく新しい風景が待っていた。

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「特別授業」は新たな仲間を今泉に与えてもくれた。同じ学年の伊藤弥生、近藤優妃の2人だ。そんな矢先、今泉は原発立地地域には、“交付金”が入るということを知る。“原発とお金”。またひとつ原発の知らなかった顔が見えた。

「原発を建てるとなぜお金が出るのか?」

 単純な疑問だった。調べるとこんな語句に出くわした。「電源三法交付金」。原発を誘致・稼働させている地域に支払われる交付金だとある。「電源開発促進税法」「特別会計に関する法律」「発電用施設周辺地域整備法」、この3つの法律が昭和49年に国会で承認された。

福井県にある大飯原子力発電所 Ⓒ文藝春秋

時代の要請に応えた田中の独創的な原発観

 推進したのは時の首相、田中角栄。政策綱領とも言うべき『日本列島改造論』を世に問うたのは田中が総理に就任する直前だった。田中の根底に横たわる問題意識は地方と都市との格差であり、その是正こそが主張の核心だ。その処方箋のひとつが日本列島の改造だった。日本列島を高速道路、新幹線のインフラで縦横に結び、地方と都市との時間的な格差を埋め、地方の工業化を促すというものだった。この著書の中で田中が原子力の可能性に言及していることは余り知られていない。