登校しないで朝から喫茶店へ
塩崎 俺たちが通った新宿高校は質実剛健ではあったけど、自由な校風だったな。
馬場 そうだね。新宿という場所柄かな。
塩崎 新宿駅から歩いて5分のところにある学校で、伊勢丹や三越は目の前。校庭の向こうに木賃宿と呼ばれていた安宿があって、スリップ姿のお姉さんがいた。要するに青線地帯だよ。駅から学校へ行く途中にライブ・ミュージック喫茶の「アシベ」や、全国から人が集まっていた「風月堂」という喫茶店があった。
馬場 僕たちはその手前の「ウィーン」という店に行っていたよ。
塩崎 喫茶店といえば僕は「ピットイン」かな。学校には行かずに、坂本君と朝から入りびたっていた。彼はよくレインコートを着ていて、「コートのポケットからピーカン(缶入りタバコのピース)を出すのがいいんだよな」と言っていた。最初のころ、坂本君は吹かしてるだけだったけどね。
馬場 格好が大事なんですよ。
塩崎 そう、何しろ坂本君は格好つけるのが好きで、格好いいと思えば何でも試みるタイプ。逆に格好悪いことはしない。
馬場 何でも格好よくやってた。
2人で安田講堂の中へ
塩崎 文化祭のときに坂本君がジャズのトリオを組んで、ピアノを弾いたことがあって、女の子たちにキャーキャー言われてた。僕はプライドがあって、モテるやつのそばに行かないから、坂本君のピアノを学校で聴いたことは一度もない(笑)。聴いたことある?
馬場 ないない。俺もそんなモテるやつのそばに行きたくない。俺はラグビー部に入っていたので行かなかったけど、2人は映画もよく観に行っていたでしょ。
塩崎 うん。中間テストや期末テストが終わった日には、ヤクザ映画をよく観に行った。高倉健とか鶴田浩二とか富司純子を観ては、「かっこいい」と。影響されて俺も彼も木刀を買ったよ。さすがに学校へは持っていかないけど(笑)。
一方、映画でもゴダールだ、絵は横尾忠則だとか言っていた。音楽は前衛の三善晃。知られていない外国の前衛音楽の知識も随分あった。
馬場 演劇も好きだったね。
塩崎 蜷川幸雄さんが演出家デビューした『真情あふるる軽薄さ』という舞台の初演を2人で観たよ。
馬場 塩崎さんが坂本君にレコードを聴かせたこともあったんだって?
塩崎 僕は1年間、サンフランシスコ郊外でホームステイしていて、エリック・クラプトンがいたクリームや、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリンなどを生で聴く機会に恵まれた。そんな最先端のミュージシャンのレコードを買って帰ったので、僕の家で坂本君と一緒に聴いたんだ。あなたも聴いたことがあったっけ?
馬場 僕は音楽方面の付き合いはあまりなかった。話すのは、さっき言ったように本についてや、学生運動のセクトの動向みたいな、政治的でめんどくさい話(笑)。
塩崎 学生運動といえば、69年1月、俺と坂本君は機動隊が突入する直前の東大安田講堂へ行ったよ。バリケードの中に入れてもらって、いろんな人と話をしたな。
馬場 中に入れたんだ。
塩崎 うん。僕たちが行った翌日に機動隊が突入したんだけど、その日、坂本君から家に電話がかかってきて、「いま御茶ノ水にいる」というんだ。東大に近い御茶ノ水でも機動隊とデモ隊の衝突があって、その現場に坂本君はいたんだよ。
それから1ヶ月くらい後の支援集会にも坂本君と行った。会場の日比谷公会堂は機動隊に囲まれていて、舞台の上にはヘルメットをかぶった大勢の学生が座っていた。一瞬、照明が消えて、明るくなると、舞台に東大全共闘の山本義隆議長が立っていたんだ。
馬場 このとき彼は指名手配されていましたよね。
塩崎 そうそう。それが機動隊の包囲網の中に現れた。山本議長は素粒子論が専門で、ものすごく頭がいいし、演説も非常にうまかった。で、演説が終わると、また照明が消えて、山本議長は姿を消していた。
馬場 このときは女装して逃げたという話もあるんだよ。その数ヶ月後に逮捕されたけどね。
塩崎 そうなのか。俺も演説に感動したけど、坂本君も「かっこいい」と感嘆していて、素粒子論かなんかを読みはじめるんだ。頭がいいから全部読めちゃうわけ。
馬場 そういうの好きだろうな、坂本君(笑)。
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塩崎恭久氏と馬場憲治氏の「革命同志・坂本龍一を偲ぶ」全文は、「文藝春秋」2023年6月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。