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《「第三次大祖国戦争」論を多くのロシア国民は支持している》ウクライナ侵略の背景にある世界観

2023/06/07
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現代史家の大木毅氏による「ロシア『大祖国戦争』が歪める歴史認識」を一部転載します(「文藝春秋」2023年6月号より)。

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ロシア側の荒唐無稽な世界観

 2022年2月の開戦から1年を経たが、ウクライナ侵略戦争は終結のきざしさえ見せず、それどころか、宇露両軍の新編・再編部隊の戦力化を得て、今夏にはよりいっそうの戦闘の激化が予想される形勢である。

 そのなかにあって、侵攻開始当初、「特別軍事作戦」の目的は、安全保障とウクライナの「ナチス」を打倒することだとしていたロシアは、そうした主張をさらに進めて、自分たちは防衛戦争を遂行していると呼号(こごう)するに至った。外敵、すなわちアメリカをはじめとするNATO諸国の攻撃を受け、「第三次大祖国戦争」(この言葉の含意〔がんい〕については後述する)を強いられたというのだ。

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プーチン ⒸSPUTNIK/時事通信フォト

 なんとも荒唐無稽(こうとうむけい)な言説というほかないが、かかる理解はおそらく彼らの集合的・歴史的経験にもとづくもので、それゆえ、ロシア国民に対しては少なからぬ影響をおよぼしていると思われる。

 本稿では、まず、このような世界観がどこから生じてきたのかを概観し、しかるのちに、そうしたロシア人の認識にいかに対応すべきかについて、少考を述べることとしたい。ただし、筆者は、現代史と用兵思想を専門としているので、以下の行論はおのずから、地域研究や現状分析ではなく、それらの視座にもとづくものとなることをお断りしておく。

継承されたソ連の公式史観

 1991年、ソヴィエト連邦は崩壊した。当時のゴルバチョフ政権に対する保守派のクーデター失敗に前後して、バルト三国、グルジア(現ジョージア)、ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンなどが陸続としてソ連邦を離脱、独立を宣言する。

 超大国は消え去り、あとに残されたソ連の後継国家、ロシア連邦の国民は、歴史的アイデンティティの問題に苦しむことになった。ある側面からみれば、ソ連の歴史は、圧政と侵略、軍国主義の連続であり、許されざる非道の末に滅びを迎えたとも解釈できるからだ。それゆえ、ロシア国民の過去に根ざした矜持(きょうじ)は大きく揺らいだのである。

 2000年に大統領選に勝利して、ロシアの指導者となったプーチンは、かくのごとき「危機」に、ソ連の歴史的偉大さを訴え、その後裔(こうえい)たるロシア国民の誇りを説く政策でのぞんだ。当然のことながら、そうしたアプローチを取る際に、とりわけ強調されたのは、厖大(ぼうだい)な犠牲を払って得られた第二次世界大戦の勝利であった。

 もっとも、2000年代の、ソ連史を模範とする愛国心醸成(じょうせい)政策においては、負の遺産もなお抹消されてはいなかった。プーチンといえども、スターリンが、国民に抑圧のくびき(、、、)をかけ、塗炭(とたん)の苦しみを嘗めさせた独裁者であることは否定できなかったのだ(西山美久『ロシアの愛国主義』、法政大学出版局、2018年)。

スターリン  ⒸSPUTNIK/時事通信フォト

 しかしながら、プーチン政権が大国への復帰をめざす政策を取り、その前提条件である国民統合を強化する必要が高まるにつれ、こうしたソ連史の「漂白(ひょうはく)」と規範化にも拍車がかかった。とくに第二次世界大戦史については、かつてのソ連公式史観への回帰がはなはだしくなり、学問的研究にも圧力がかかるようになったのである。極端な場合には、それが外国人研究者にまでおよんだ例もみられる。

 1982年生まれのドイツの軍事史家ゼバスティアン・シュトッパーは、2011年にフンボルト大学(ベルリン大学)に提出した学位論文ほかで、ドイツ軍の攻勢を正面から受け止め、これを撃退したということにされてきた、1943年のクルスク会戦のある側面に重大な疑問を投げかけた。ソ連軍の勝利には、祖国解放を切望するパルチザンの活躍が大きく貢献していたとの「神話」を否定したのだ。

 彼は、ドイツや東欧諸国の文書館に所蔵されている史料を精査し、「ソ連の歴史プロパガンダによって喧伝(けんでん)されてきたパルチザン戦争の軍事的な有効性は、実際には最小限のものでしかなかった」、「ドイツ軍のクルスク攻撃は、ブリャンスクの森〔当時のドイツ軍戦線の後背地〕にいたパルチザンがあらゆる犠牲を払ったにもかかわらず、いうに足るような妨害は受けなかった」との結論をみちびきだしたのである。

 シュトッパーの学説に対するロシア政府の反応は、ヒステリックと形容してもさしつかえないであろうものだった。2014年6月、ドイツのウェブマガジン『シュピーゲル・オンライン』が報じたところによると、シュトッパーの著作は「過激派文書」のリストに入れられ、しかも、イタリアの独裁者ムッソリーニの著書のすぐあとに置かれたという。以後、シュトッパーは、「入国拒否対象(ペルソナ・ノン・グラータ)」とされ、ロシアでは「ネオナチ」として誹謗中傷されることになった(ローマン・テッペル『クルスクの戦い 1943』、大木毅訳、中央公論新社、2020年。〔 〕内は筆者の補註)。

 このシュトッパー事件が端的に証明しているごとく、ソ連の公式史観、とくに第二次世界大戦に関するそれは、ロシアにおいては、疑うことを許されぬ正史となり、国民の教育と歴史認識の土台とされていったのである。