ソ連にも第二次世界大戦勃発の責任がある
2010年代に、クリミア侵攻などにより、ロシアが武力による現状変更も辞さぬことがあきらかとなり、自由主義諸国との関係が悪化するにつれ、ソ連公式史観への回帰と歴史認識の統制はいよいよ進行した。
その重要な一里程となったのは、2019年の欧州議会の声明をめぐる応酬(おうしゅう)であったろう。この年の9月、欧州議会は、2度目の欧州大戦開始(1939年)80周年を契機として、「ヨーロッパの将来に対する記憶の重要性」という声明文を採択した。そこに示された認識は、ドイツのみならず、ソ連にも第二次世界大戦を引き起こした責任があると非難するものであった。
当時のソ連はナチス・ドイツと不可侵条約を結んだばかりか、付属の秘密議定書で中・東欧をそれぞれの勢力圏に分割することを定めた。その合意にしたがい、ソ連軍は、西から攻め入ったドイツ軍に呼応して、自らもポーランド東部に侵入した。スターリンのソ連は、ヒトラーのドイツとともに第二次世界大戦を引き起こしたのである。かくてヨーロッパにもたらされた未曾有(みぞう)の惨禍をしかと記憶し、スターリニズムやナチズムの再生を拒否すべしというのが、この声明の趣旨だった。
イデオロギー的戦争準備
プーチンが、これに激しく反発したことはいうまでもない。だが、彼が反論の根拠として持ち出したのは、やはりソ連時代の公式史観をなぞった歴史認識でしかなかった。
ソ連がナチスと不可侵条約を結んだのは、必ずや生起するであろうドイツとの対決に備えて、時間をかせぎ、防備を固めるための苦渋の選択であった。北欧や東欧における領土拡張も、対独戦に向けて防御態勢を固めるためにやむなく行ったことである。何よりも、ドイツ軍の主力を一手に引き受け、戦闘員のみならず、一般国民までもがすさまじい犠牲を払って、ファシストに対する勝利を決定的とした国家こそ、ソ連なのだ……。
むろん、史実に即してみるならば、このプーチンの解釈、ひいてはソ連の公式史観は、後知恵によって、醜行(しゅうこう)の糊塗(こと)・隠蔽(いんぺい)をはかる議論だというほかない。かかる歪曲(わいきょく)によって、捕虜となったポーランド軍将校の大量殺害、「カティンの森」事件に象徴されるような、ソ連に占領されたポーランド東部やバルト三国の国民に加えられた、人間の尊厳を踏みにじる犯罪を弁護することは不可能なのである。
にもかかわらず、プーチンは、ロシアの公的歴史認識をソ連のそれに同質化させ、あまつさえ、2021年には第二次世界大戦におけるソ連とドイツの役割を同一視することを禁じる法律を制定した。およそ言論の自由を踏みにじる行為ではあった。けれども、よくいわれるように「歴史は過去に対する政治」であるとの一面を持つ。その意味では、こうした処置は当然だったといえる。
プーチンが、ソ連の最盛期の領土を取り戻し、また、かつての東側ブロックに相当する領域を再びロシアの勢力圏に収めることを、自らの政治目的としているとの主張は、定説とはいわぬまでも、少なからぬ説得力を有する議論であろう(彼が2005年の年次教書演説で、ソ連崩壊は「20世紀最大の地政学的悲劇」だったと公言したことを想起されたい)。
もし、プーチンがそうした政策を追求していると仮定するなら、その正統性を支えるのは、当該地域は、ソ連が第二次世界大戦でなみなみならぬ犠牲を払い、血であがなったものであり、必然的に後継国家のロシアが相続すべきだとする歴史観、あるいはフィクションなのだ。つまり、現在の拡張政策を理論武装するためには、かつてのソ連の侵略行為をそれと認めることは許されないのである。
事実、今次のウクライナ侵略戦争でも、同様の認識が示され、かつ、その重要な動機づけの一つとなっていると推測される。いわば、2019年以後にプーチンが強化した歴史政策は、イデオロギー的戦争準備だったと捉えることができよう。