“次代のスター”の誉れ高い市川團子(19)は順調に芸を磨き、日本中にその名をとどろかせる役者になれるのか、それとも――。日本で最も注目される19歳は、今岐路に立たされている。
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猿之助のDNAは團子に確実に継承されている
市川團子の存在感は“スター誕生”を予感させるものだった。
市川猿之助の突然の不在によって、團子は明治座で上演中だった「不死鳥よ 波濤を越えて」で猿之助の代演に立った。
私は5月11日に昼夜通しで明治座の芝居を見ていたが、26日にも昼の部の團子の代演を見た。猿之助の技巧とはまた違った魅力がこの舞台にはあふれていた。
この芝居は44年前に團子の祖父である市川猿翁が初演したもので、スーパー歌舞伎の原点ともなった作品である(販売されていた筋書きに猿之助が言及している)。スーパー歌舞伎でも明らかだが、猿翁の芝居はメッセージ性が強く、時として青臭く感じさせることがある。それが今回、19歳の團子にはその青臭さがピタリとハマり、初演時の精神が甦ったのではないか――と感じるほどの好演だった。
最後は澤瀉屋の“象徴”ともいうべき宙乗りを披露。その瞬間、猿翁が好んで色紙にしたためた「天翔ける心」という言葉を思い出していた。
まさに、澤瀉屋のDNAは確実に19歳の團子に継承されたことを実感した。
報道では、どうしても「不死鳥よ 波濤を越えて」に注目が集まりがちだったが、團子は夜の部では『御贔屓繫馬』(ごひいきつなぎうま)で、「百足のお百」という人を喰った名前の女形を勤めていた。これが可愛らしかった。
團子は歌舞伎役者としては上背があるため、女形を演じる場合は膝を曲げる角度を深くしなければならない。主役の猿之助に合わせるため、かなりの肉体的負荷を自身に強いているのが分かったが、女形にも将来を感じさせる出来だった。