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順風満帆に見える團子だが…

 昼の代演、夜の女形。

 團子が観客に訴えかけるポテンシャルを持っていることは十分に示せたが、今後、猿之助のように一座を担うためには、どうしても時間が必要だ。

 少なくとも、あと10年――。

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 それほど、猿之助から学ばなければいけない澤瀉屋の芸が残されていると思う。

 澤瀉屋の歴史を振り返ってみると、八面六臂の活躍を見せていた当代の猿翁が脳梗塞で倒れたのは2003年11月のことだった。63歳の時だ。

 では当時、亀治郎と名乗っていた当代の猿之助は何歳だったかというと、27歳だった。

 ちょうどそのころ、幼いころから澤瀉屋の舞台に立ってきた亀治郎は、大きな転換期を迎えていた。

 2002年には勉強会である「亀治郎の会」を立ち上げ(2011年まで続いたこの会は、毎回、意欲的なプログラムが組まれていた)、さらには猿翁が倒れる前の2003年7月の公演を最後に、父・段四郎と共に一座を離れていた。そして2007年には大河ドラマ『風林火山』にも出演する。

 20代から30代にかけ、猿之助は役者として大きな決断を下していたわけだが、裏を返せば亀治郎時代には猿翁の下で、スーパー歌舞伎をはじめとした澤瀉屋のお家芸を学ぶ時間があった。劇団を離れてから大歌舞伎や浅草歌舞伎などで古典に取り組み、猿之助は実力を蓄えていった。

2012年、猿之助を襲名するころ ©文藝春秋

猿之助が猿翁の下で学び続けた日々

 猿翁から猿之助に受け継がれたものは、たくさんある。外部の脚本家と積極的に組み、演出にも大胆な工夫を凝らすなど独自の路線を歩んだことは共通する(猿翁の演出の工夫については、1976年に出版された傑作「演者の目」を読むことで読者は驚嘆することだろう)。

 当代の猿之助は、猿翁の下で演出家として、歌舞伎をどう見せるかについて学ぶ時間があったことを意味し、それが昨今の舞台の充実につながっていたと思う。

 今回の出来事で考えざるを得ないのは、團子の未来だ。