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サッチャー首相との昼食会にひそむ、英国政府の思惑

 そして、2年間のオックスフォード留学を、2度と来ない絶好の機会と見たのは、浩宮だけでない。将来の天皇たる彼の留学を、今後の対日外交に生かす、そう考えたのは英国政府であった。

 1984年1月11日、ロンドンの首相官邸から英外務省に、1枚のメモが送られた。

 「2月18日の土曜日、首相は、チェッカーズでの昼食に浩宮を招きたい意向である。その日に招待が可能かどうか、確認してもらいたい」

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 チェッカーズとは、英国の首相の公式別荘を意味し、ロンドン中心部から約60キロの場所にある。元々、16世紀に建てられた古城で、今では首相が週末を過ごすのに使われる。そこへ浩宮を招こうとしたのは、マーガレット・サッチャー首相だった。

 さっそく外務省は準備に取りかかったが、昼食会の前日、彼らが作成した文書に、こうある。

 「今月23日に24歳になる浩宮は、皇太子(筆者注・現上皇)の長男で、皇位継承順位の第2位」、ピアノやチェロなど楽器も嗜む。「少しシャイだが好感が持て、最初は打ち解けないが、とてもリラックスして話せる若者」という。

「浩宮は(一般的に皇族も同様だが)国際政治や経済に直接関わらず、おそらく強い関心もないと思われるが、首相は、英国と日本に横たわる問題、26億ポンドに及ぶ貿易赤字を認識しておくべきだろう」

「目下、東京で、欧州共同体と日本政府による協議が行われているが、共同体側は、米国以外からの輸入も増やすよう働きかける意向である」

 当時、日英の間に横たわった貿易問題、その懸念を、サッチャーから浩宮に、さりげなく伝えて欲しかったのかもしれない。

 さらに英外務省は、サッチャー首相が、浩宮の祖父、昭和天皇の健康状態を聞き出すことに触れている。その前月、天皇に拝謁した駐日大使によると、年による衰えこそあるが、82歳にしては元気そうだったという。念のため、身内から情報を取ろうと考えたか。

 和やかな昼食会も、熾烈な外交の舞台だった訳だ。