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「プリンス・ヒロの留学受け入れによる利益」を見すえた英国の対応

 そして、翌年、浩宮が帰国を控えた1985年9月、日本の中曽根康弘総理が、サッチャー首相に書簡を送ってきた。留学中の英国政府の配慮に感謝するもので、それを、駐英日本大使は直接届けたいという。いくら友好国でも、いちいち大使と首相が会ったら、きりがない。だが、英外務省は、要請を受けるよう官邸にアドバイスした。

 「首相への会見要請は極めて異例だが、諸事情から見ると、検討する価値があると考える」

 「たとえ10分でもよいので、会見に時間を割けば、プリンス・ヒロの留学受け入れによる利益を、さらに強固にし、その配当を手に入れられる。日本人はこうした些細な事柄に強い関心を払うので、大きな効果、すなわち貿易や他の経済問題で公式に話し合う必要が生じれば、こうしたジェスチャーは、一層の価値を発揮する」

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 将来の天皇に示した配慮に、日本政府は、深く感謝している。今後、外交上の摩擦が生じても、迅速かつ柔軟に対応できる。これは、英国にとっても大きな財産を意味した。

戦前の秩父宮の留学にも外交上の狙いが…

 この留学実現の立役者が、元駐日英国大使のヒュー・コータッツィである。

 第2次大戦中、日本語特別訓練生として軍に入り、インドやシンガポールで日本人捕虜の通訳に従事した。その後、外務省に入って西ドイツや米国などで勤務し、1980年から駐日大使を務めた。退官後も、日英関係の著書を刊行するなど、親日家として知られた。

 私も、ロンドンの自宅でインタビューしたが、とても米寿に見えないエネルギーが印象に残った。このコータッツィが、大使時代、心血を注いだのが浩宮の留学である。後に回顧録で、こう述べている。

「皇太子殿下のご長男の浩宮様(現在の皇太子殿下)が学習院大学をご卒業になるころ、私は皇太子殿下の叔父様になられる秩父宮殿下と同じように英国にご留学されたらいかがでしょうかとご進言申し上げた。この考えは宮内庁の方針と一致して具体的になり、我々はその可能性を検討し始めた。秩父宮殿下も、寛仁親王殿下もオックスフォード大学のマグダレン学寮(Magdalen College)で学ばれたので、浩宮様には別の学寮がよいように見えた」

 ここで面白いのは、コータッツィが、昭和天皇の弟、秩父宮の留学に触れていることだ。秩父宮は、大正時代の1925年からオックスフォードで学び、この時の英国政府の記録がある。

 それによると、留学は元々、宮内省の松平慶民が訪欧中に提案し、元老の西園寺公望、貞明皇后らの支持で実現した。ちょうど日英同盟の破棄で、両国の関係がぎくしゃくしていた時期だ。英外務省から国王ジョージ5世への報告では、日英関係を改善する効果が期待できるという。

 それから60年後、貿易摩擦で日英が緊張する中、浩宮は、オックスフォードで学んだ。時代は移っても、皇族の留学は、外交上の貴重な財産になるという証だろう。

 そして、ここで、浩宮は、生涯の師と呼べる英国人教授と、運命的な出会いを果たすことになる。

エンペラー・ファイル 天皇三代の情報戦争

栄一郎, 徳本

文藝春秋

2020年2月27日 発売