英国トップシークレットの部屋に招かれた意味とは
ロジャー・ハイフィールド教授は、教え子の天皇即位を見ることなく、2017年、95歳で亡くなる。そして、「テムズとともに」に、教授への感謝の言葉が載っていた。
「オックスフォード市内の歴史散策、エッセイ作成過程における数々のご教示、オペラ鑑賞、テムズ川上流探訪と、私は先生のおかげで2年間数々の勉強をした。そのどれもが今日の私に与えた影響は計り知れない。ハイフィールド先生こそ、私に学問の難しさ、つらさ、楽しさを教えて下さった、あらゆる意味でのモラル・テューターである」
そんな日々が続いていた頃、ある出来事があった。
1985年1月16日、浩宮は、ロンドンの官庁街、ホワイトホールにある英外務省を訪れた。留学を終える前、英国の政府機関を視察するためで、ジェフリー・ハウ大臣や次官が出迎えた。一通り、外務省の歴史や建物の説明を受け、案内されたのはコミュニケーション・センターだった。
ここは、24時間体制で、在外公館と暗号電報をやり取りし、英外交の中枢、トップ・シークレットである。本来、部外者は入れないが、なぜか浩宮は、外国人として初めて迎えられた。
英外務省文書によると、18世紀の暗号表の後、浩宮は、公電の配布先のボックスを見て、驚いた表情を浮かべた。そこは、暗号解読され、政府要人に送る公電が積まれ、1番手前に「女王」「プリンス・オブ・ウェールズ(皇太子)」とあったのだ。
英国は、常時、国王または女王に、外交問題を含む詳細な報告をしている。首相が行うブリーフィングに加え、閣僚も同様で、情報機関のデリケートな報告もある。政治に介入せずとも、立憲君主は、国際情勢に精通するのが伝統だ。
それは、世界に向けた「言葉」に生かされ、時に歴史を動かしてきた。
浩宮を、トップ・シークレットの部屋へ招いたのは、誰の発案だったか。首相、あるいは外務大臣、それとも、エリザベス女王だったか。いずれにせよ、将来、祖父や父の後を継いで天皇になる浩宮への、無言のメッセージのようだった。
そして令和を迎え、世界は、昭和初期のようなきな臭さを増している。東西冷戦中は押さえられたナショナリズムが燃え、独裁的な指導者が登場した。米国、中国、ロシアの覇権争いで、新たな大規模戦争の恐れも囁かれる。それは、ロシアのウクライナ侵攻で現実になった。
もし一触即発になっても、日本国の象徴たる天皇が、事態を的確に読み、必要とあればメッセージを発する。それには、インテリジェンスが不可欠だ。
この意味で、今上天皇のオックスフォード留学は、令和の今こそ、大きな意味を持つと言える。