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 過去の相撲ドラマはなぜか女性主体だったが、応援する側を無理やり主体にする必要はない。むしろ『サンクチュアリ』のように、古き男社会に注入される毒または劇薬でいいと思えた。とってつけたような純粋ヒロインや優しいマドンナなんぞ不要だと思わせた。

 もう一点、色男は矮小に描かれる点も潔くていい。清のタニマチになりたがる、IT企業のいけすかない若きCEO・村田(金子大地)といい、角界スキャンダルを狙うフリーライター・安井(毎熊克哉)といい、やや弱めのヒールとして蹴散らかされる。

 角界のプリンスと呼ばれる爽やかイケメン力士・龍貴(佳久創)も、メンタル絹豆腐(脆くて崩れやすい)な場面を存分に見せた。美化せず、徹底的に綺麗事や嘘臭さを排除した結果、骨太な作品になったと思っている。

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結局のところ、聖域とは…

 映像では、国技としての神聖で厳かな要素もきっちり見せている。稽古後の土俵は毎日掃き清めて、中央に小さな山を作り、御幣をさす。入るときも出るときも一礼するなど、ビジュアルで「聖域」の意味がわかる。

「聖域」として描かれる土俵(画像:Netflix公式YouTubeより)

 そしてもうひとつの「聖域」。猿将親方が清に角界入りを勧めるときに、分厚い財布の中身を見せて、放ったセリフがある。

「土俵にはね、全部埋まってるんだよ。金、地位、名誉、女…。打ち出の小槌の聖域だよ」

 現代にそぐわない古き慣習がある角界の汚れた部分や、悪い意味で変わらない部分も「聖域」と表現。角界で絶大な権力をもつ元横綱の龍谷親方(岸谷五朗)と、そのタニマチで新興宗教の教祖・伊東(笹野高史)の関係も、令和の今、描くべき「社会の澱」だ。タブーではなくサンクチュアリとしたところに、この作品の大きな意義があると思った。大相撲だけでなく、歌舞伎版サンクチュアリもそのうち制作されるのではないか。いろいろと根深いものがありそうだし。

 ともあれ、清が猿桜となって、相撲の面白さを体得していく様は爽快なスポ根そのもの。清濁のバランスが絶妙なドラマとして、シーズン2を心待ちにしておく。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。次のページでぜひご覧ください。