「掲示板は私にとって居場所。家族のようなもの」
他者とうまくコミュニケーションがとれない加藤は、言葉のかわりに「アピール」という直接行動をとるようになった。今の子供たちは「アピる」という動詞で使うという。派遣先で加藤が、正社員から「派遣のくせに黙ってろ」と言われ、言葉で反論せずにいきなり辞めたのも、正社員へのアピールだったという。彼には大事な自己主張の手段だろうが、悲しいことにその意思は誰にも伝わらなかった。
親しい友人もできず、加藤は「1人はいやだ」と、人目もはばからず涙を流すほど孤独だった。しかし、他者との関係を拒絶したわけではなかった。「せめて話のできる普通の家族になりたい」と、家族ともやり直しを始めたが、失った絆はとり戻せなかった。他者とつながりを見出せない加藤は、携帯サイトの掲示板の中に人間関係を築こうとする。「仕事以外の時間はすべて掲示板に充て」たというほどで、一時は通信料が数十万円にもなったこともあった。掲示板について加藤はこう証言している。
「自分が自分に帰れる場所でした」「返事をもらえると嬉しく、『一人じゃない』と感じられた。掲示板は私にとって居場所」「私にとっては家族のようなもの。家族同然の人間関係でした」
「殺す相手は誰でもよかったのか」と問われ…
ところがこの掲示板が、「なりすまし」といわれる迷惑メールによって荒らされる。「家族を失う」と焦った加藤は、「なりすまし」に「警告」するため、「大事件を起こす必要がある」と考えた。これが無差別殺傷事件になるのだが、それにしても、なぜ「警告」が無差別殺傷なのか、加藤の供述からは理解できない。
検察官から「殺す相手は誰でもよかったのか」と問われ、加藤が「はい」と答えたように、彼にはどんな事件でもよかったのかもしれない。彼の中で膨らみつづけた「怒り」や「悲しみ」が、掲示板を荒らされたことがきっかけにある閾値(いきち)を超え、「爆発」したのがあの事件だったように思う。「(事件を)起こしたというより、起こさざるを得なかった」と加藤が語っているのは、そういうことではないだろうか。
問題を抱える子供たちと加藤に共通するものがあるからといって、彼らも加藤と同じ事件を起こすわけではない。多くの子供たちは、どこかで親子関係を修復したり、人とつながることで、自分の歪んだ部分を修正していくからだ。ところが、加藤にはそういう機会がなく、努力もしなかった。これが、ためらわずに人を殺傷する怪物を生んだのかもしれない。ただ、共通するものが少なからずあるからには、子供たちの中に第二第三の加藤が胚胎する可能性を完全には否定できない。加藤の出現は、あるいは絆を失った私たちの社会が、崩壊しはじめた兆しかもしれない。