次々とタイトルを奪取し、将棋界を席巻する天才・藤井聡太。その師匠である杉本昌隆八段が、瞬く間に頂点に立った弟子との交流と、将棋界のちょっとユーモラスな出来事を綴ったエッセイ集『師匠はつらいよ 藤井聡太のいる日常』(文藝春秋)。
その中の一篇「忘れ得ぬ“忘れ物”事件」(2022年11月24日号)を転載する。
(段位・肩書などは、誌面掲載時のものです)
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藤井聡太竜王も忘れ物が多いタイプだった
「ご迷惑をお掛けしました」
地方の交番内で深々と頭を下げる私。ちょうど1年前の誕生日前日のことだ。
個人差はあるが、棋士は忘れ物をする人が多いと思う。思考のリソースを将棋に割り振りすぎるからで、もう職業病のようなものだ。
先日、羽生善治九段が「徹子の部屋」に27年ぶりに出演され、黒柳徹子さん相手に様々な話を展開されていた。家族の話、体調管理……忘れ物の話は非常に共感したものだ。
最近は分からぬが、藤井聡太竜王も以前は忘れ物が多いタイプだった。
まだ14歳の頃だが、大阪対局の後にロッカーに預けていた携帯電話を忘れて帰ってしまったのだ。晩に私と連絡する約束をしており、なかなか鳴らない電話にヤキモキしたものだ。
携帯電話、紙袋、タブレットを立て続けに置き忘れる
かくいう私も人のことは言えない。対局後は高確率で忘れ物をする。
扇子、ハンカチ、冬場ならコート。さすがに靴は忘れないが、他の対局者の靴と間違えかねない。だから私は少数派の茶系の靴を好み、内側に目印まで書き込んで間違えないようにしているのだ。
そして冒頭の話。山口県宇部市で行われた昨年の竜王戦第4局の仕事の際、私は目的地、宇部駅の一つ手前の乗り換え駅で携帯電話を忘れてしまった。
手洗い場の棚の上に置いた気がするが、そこは無人駅だから連絡がつかない。後に仕事も控えており、宇部駅で忘れ物の届け出をしてホテルの部屋に入った。