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 ところが、皇太子妃である雅子妃の産む子どもは将来の天皇になる可能性があることから、メディアはいわゆる「世継ぎ問題」も積極的に報道していった。それは、女性の役割は子どもを産むこととするような古い価値観に起因していたように思われる。つまり、キャリアを活かして仕事を担うことと子どもを産んで家を継続させていくこととの両立がかなり難しいことが予感された。

 2001年12月1日、雅子妃は愛子内親王を出産する。この時も「次は男子を」という声が報道されたこともあった。そして2003年12月、雅子妃は帯状疱疹を発症し、公務を休むことになった。翌年、皇太子が記者会見で、いわゆる「人格否定発言」をして大きな問題となる。その後、雅子妃は適応障害であることが発表され、療養生活を送ることとなった。

2003年11月、東宮御所のお庭を散策されるご一家。12月から雅子さまは長期療養に入られた 宮内庁提供

「ご感想」に込めた両陛下の本音

2002年12月、雅子さまのお誕生日に際した最後の記者会見 宮内庁提供

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 その後、長きにわたって公務ができない状況が続いた。その際には、週刊誌などを中心に心ないバッシングが展開されることもあった。今回の展示では、そうした療養や批判に関する部分は描かれず、すっぽりと抜け落ちている。とはいえ、「ご感想」のなかには「時には悲しみを共にし」という表現がある。そこには、そうした困難な道を2人で歩んできたことへの思いが見える。