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 そのうちに『Olive』の編集部から電話がかかってきた。しかし、それまで大人と話す機会のなかった彼女は、驚きと恐れから、無言のまま電話を切ってしまったという。それでも、姉と一緒に出てみたらと勧められ、ためしにモデルを務めたところ、撮影現場のヘアメイクやスタイリストが職人みたいにそれぞれの仕事をしていて、すごくかっこいいと思った。《だから、自分が表に出たいというより、面白い大人に会いたいから続けてきたような》と、市川はのちに振り返っている(『婦人公論』前掲号)。

 俳優の仕事も、モデルだけをしていたころは、別次元の世界であり、「私が映画に出るなんてありえない」と思い、断っていたが、《いざ映画に出てみて、自分が体感したら、違和感がなくなったんです。別次元から、好きな世界に変わった》という(『ピクトアップ』2020年12月号)。

初主演映画『blue』(2003年)

「演技指導しても『はあ』と…」

 まもなくして映画『blue』で初主演する。監督の安藤尋によれば、このときの市川は《演技指導しても『はあ』と曖昧な返事をするんですけど、実は真面目で一生懸命。台本はすべて頭に入っていたし、鉄棒をする場面では、炎天下で手の皮がめくれるほど練習してくれました。本心はうちに秘めている、(高倉)健さんみたいな人なのかも》という(『週刊文春』2022年2月10日号)。

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 市川はこの作品で2002年、24歳にしてモスクワ国際映画祭の最優秀女優賞を受賞した。受賞発表時、市川は自分の名前を呼ばれたものの、それ以外はロシア語で何を言われているのかわからないままステージに上がってトロフィーを受け取り、あとで日本のメディアの人から聞いて、ようやく何の賞をもらったのか知ったという。

ドラマ「初恋.com」(日本テレビ系、2003年)制作発表。(左から)加藤あい、市川実日子、大塚寧々 ©時事通信社

 その後はテレビドラマへの出演も増えていく。2003年に『すいか』に出演したのを機に、それまでのファンとはまったく違った層にも認知が広がった。

『すいか』は、舞台が東京郊外にある時代から取り残されたようなボロアパートとあって、衣装がすべて古着だったり、セットに置かれた植物もみんな本物だったりと、《私にとってうれしいものがたくさん詰まっているんです》と語るほど(『キャズ』2003年9月8日号)、市川のお気に入りの作品となる。

 同作で彼女が演じたのは、海外に行ってしまった父親からアパートの大家の仕事を押しつけられた娘で、日々、住人たちにまかないをつくりながら、雑用のためコマネズミのように働くさまが印象深い。