ベイスターズが宿願の交流戦優勝を決めてから3日後、セ・リーグ同士の争いに戻ったタイガース戦は今永昇太投手の「気負い過ぎず、今日の意味を考えた」完投勝利で始まり、翌日は東克樹投手が今季2度目の無四球完封。大丈夫、流れはそのまま。いや、加速していると確信できる再スタートです。
三浦監督が選手たちに伝えた交流戦優勝への『特別な意識』
「交流戦優勝を意識して一週間を戦おう」と三浦大輔監督から選手全員に伝えられたのは6月13日火曜日の練習前。7勝5敗でジャイアンツと首位を並走中、残り6試合ホームでの決戦に向かう日でした。
実はこの言葉、当初三浦監督から明かされたのではなく同日ファイターズ戦で7回2失点、粘りの勝利を勝ち取った今永投手が取材中に話してくれたのです。
「三浦監督が投手まで全員を集めて話す機会はめったにありません。その中で残り6試合を大事に意識して戦おうと言われました。なぜ、このタイミングで監督が話したかを考え、まずは自分が任された試合を勝とうとマウンドに立ったのです」と。
翌日三浦監督は「そうですか、今永がそう言っていましたか」と発した後、少し間をおいて、言葉を選び「交流戦優勝を目指して一週間を戦い、チームがそのための環境を整えることは大事。全員が目標を見定め、いつもと違う戦いを意識するとチームにとってどんな効果が現れるのか。大きな経験になる」と話してくれました。敢えて尋ねられるまで三浦監督は、交流戦優勝への『特別な意識』をチーム外に発信する意図は、なかったかもしれません。
でもファンがチームの明確な目標を知ると、交流戦の終盤横浜スタジアムのスタンドは熱量と声量が増していきます。
6月19日、勝てば優勝が決まるファイターズ戦、5回ノーアウト満塁から無失点に切り抜けるリリーフを見せた森原康平投手は「ブルペンから、凄い声援を感じていました。チームメイトとも『やばいよ、今日の、この応援』と話していたのです。プロ野球生活7年目、2球団目で初めての経験。役割を果たせて良かった」と爽やかな笑顔。
三浦監督の言葉は確実にファンにも波及し、横浜スタジアムの応援スタンドにも、かけがえのない経験を与えてくれました。
リーグ優勝より難しいと感じていた辛い期間
『交流戦優勝』の5文字には深みを感じています。最終ファイターズ戦に勝ち切れず翌日優勝が決まったこと、更にはあと1勝できていれば交流戦通算勝率が4割2分5厘6毛とわずかにカープを上回り交流戦通算勝率12位から脱していた事実は、野球の神様から授かった伸びしろと考えていますが。
ついに、この日が来たのだと……。
交流戦がスタートした当初、ベイスターズはさほど苦手としていなかった記憶があります。1年目の2005年は36試合行われ19勝17敗の6位、翌年は10位と振るいませんでしたが次の2007年は24試合で14勝9敗1分けの3位。同一リーグの戦いほどデータが揃わない対戦で、ベイスターズは個の力を発揮した印象があります。しかし翌2008年からは3年連続で最下位、6年連続で2桁順位。三浦監督をして「当時はあまり振り返りたくない」と言うほど、辛い期間へと変貌してしまいました。
気になったこともあります。2001年近鉄バファローズからベイスターズにトレードでやって来た杉山賢人さんが、後にイーグルスで投手コーチを務めていた時期の取材中でした。杉山さんは引退後2002年から3年間ベイスターズで打撃投手など裏方の役目を果たしデータ分析も行い、2006年からイーグルスの投手コーチに就任。
杉山さんから伺ったのは「ベイスターズで裏方を務めた際、交流戦で対戦の少ない投手の資料も揃えました。でも当時の打者には、データはデータ、対戦した感覚の方が大切と分析にあまり耳を傾けてくれない人もいました。今、対戦相手となったベイスターズを思う時、お世話になった感謝と共に、負けられない気持ちはありますね」と。杉山さんは「今の話、実況でも使って構いませんよ」と言ってくれたのですが、私が的確に伝え切る自信がなかったため胸に秘めていました。
もちろん一人一人の感覚やチームカラーがある中で、正解は1つではありません。でもエース三浦大輔投手が先発の試合は互角、他の試合はパ・リーグの好投手をなかなかチーム一丸で攻略できずに苦しむ交流戦を、幾度となく目にして「交流戦の優勝はリーグ優勝より難しいのでは」と感じたこともありました。