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 答えに窮する質問である。長年、マフィアや反政府組織と対峙する彼らからするとヤクザは未知なる存在だった。だからこそ我々日本人も想像しないような疑問が飛ぶのかもしれない。ちなみに、テキ屋について話すと、「何だそれは? 露天商がヤクザなのか? おかしくないか。それとも隠れ蓑か」と彼らの混乱を招くばかりで、最後まできちんとした説明ができなかった記憶が残っている。

 精神世界の話になればなおさらだった。日本のヤクザの所作はまさしく「なぜ?」だらけだった。

 たとえば親子の契り。どうして盃で行うのかから始まり、一般家族でも行われる儀式なのかとまで聞く。一般的なものとヤクザ社会における親子は違うと否定すると「では、親は子を力で押さえつけて従わせるのか」と返ってくる。これこそカルテル的な思考である。

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©AFLO

「違う。力では押さえない。ヤクザは親分に対して子分が惚れ、親子の契りを交わす」

 そう答えても「ではヤクザは男性を同性として愛するのか」と言う。どうにも噛み合わない。ヤクザの話題になると、終始こんなやり取りばかりが続いた。

「ヤクザはラスト・サムライなのか?」

 欧米のマフィアにもファミリーという仲間意識があるにはある。しかし、結局のところファミリーは出身地や血の繋がりで構成されるコミュニティであり、生まれや血縁関係を重視しない日本のヤクザの“家族”と捉え方は違う。実際、マフィアにおけるファミリーは裏切れば殺されるというのが通説だが、日本のヤクザは指詰めという段階的なプロセスがある。すると今度は指詰めに対しての質問が入る。

「指は誰かに切られるのか?」

「違う。彼らは謝るために自分で指を落とすんだ」

「どうして自分で切るのか?」

「痛みを我慢するという気持ちが謝罪の意味になるからだ」

「切った指はどうするのか?」

「謝罪相手に届ける」

 こう言うとほとんどのエージェントたちは感激する。そうして侍や戦時中の特攻隊にヤクザの姿を重ねていく。

「ヤクザはラスト・サムライなのか」

 そんな質問を真顔でするエージェントもいた。それほどヤクザ社会の美徳は欧米のエージェントたちにとっては新鮮に映っていたのだ。

 だからこそ、山口組によるハワイ事件はDEAも衝撃をもって受け止めていた。ショックという表現が正しいかもしれない。東洋の神秘に見えていたヤクザが突如としてテロ組織に変貌したのである。日本刀だと信じていた武器がロケット砲に変わったのだから驚くのも無理はない。

 1970年代から始まった拡大路線の中、山口組はヤクザという存在を自らの手で変えてしまったということだろう。