2022年は暴対法(暴力団対策法)施行30年のメモリアルイヤーだ。暴力団による“みかじめ料・用心棒代”の要求や、高金利の取り立て等を禁止した法律で、後に都道府県単位でできた各種の条例とあわせて暴力団の活動範囲を大きく狭めてきた。
現にこの30年で暴力団員数は激減しており、1960年代のピークには19万人いたという統計もあるが、今年3月の警察庁発表では約2万4000人(正式な組員ではない準構成員含む)。これを見ると国の暴力団対策は成功しているように思えるが、実態はどのようなものなのだろうか。
ヤクザを取り巻く環境の変化やその生態について、元ヤクザで牧師の進藤龍也氏と、暴力団研究をする異色の“ヤクザ博士”こと廣末登氏の2人の対談をお届けする。
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進藤 今日はよろしくお願いします、1970年生まれ同士ということもあり楽しみにしていました。前に一度、廣末先生がお住まいの福岡でお会いした際は、「朝パン」の話で盛り上がりましたね。
廣末 よろしくお願いします。私は福岡、進藤先生は埼玉と場所は違えど時代が一緒ですから、やんちゃな若者がやってきたことも似ているんですよね。「朝パン」は、早朝にスーパーなどに配達されるパンを盗んで食べちゃうこと。今は24時間営業になって外にパンを置いておくなんてことはなくなりましたが、80年代は色々なことがゆるい時代でした。
暴走族からヤクザ、という王道ルート
進藤 悪事にも時代が出るんですよね、カセットのウォークマンを盗んだり、直結(鍵を使わないで回線をいじりエンジンをかけること)で原チャリを盗んだり……まさに尾崎豊の「15の夜」の世界です。
廣末 短ランにボンタンと服装も一緒です。当時は非行に走る王道ルートと言えば暴走族に入ってヤクザになるというものでした。私は進藤先生のようにヤクザの道には進みませんでしたが、若気の至りで10代の頃はかなりやらかしていて「次は鑑別、少年院ルートで間違いないぞ」と警察官に言われるような福岡の少年でした。