書く前にはまったく答えがわからなかった『やがて海へと届く』
――これまで書いてきた作品はどれも大切なものだと思いますが、これは転機になった、これが書けたことは大きかった、と思うものはありますか。
彩瀬 『やがて海へと届く』(16年講談社刊)かな。やっぱりあれは難しかったんですよね。
――3年前の震災以降行方不明になり、おそらく被災したと思われる親友を想う女性のパートと、ひたすら歩く女性が出てくる幻想的なパートから成る物語ですよね。彩瀬さんは3・11の時にたまたま福島を旅行中で被災されていて、その体験は『暗い夜、星を数えて 3・11被災鉄道からの脱出』(12年新潮社刊)にも書かれていますが、その体験を通して感じたことが反映されていますよね。
彩瀬 あれは主人公がはじめに持っていた、死者に対する申し訳なさや、主人公が抱えている問題に対して、ひとつの答えがある話ではなかったんです。亡くなった死者の旅のほうも、どうすれば無念ではないのか、決して答えが出るものではなかった。書く前にはまったく答えが分からないものが、書くことを通して、一定の着地点が見えたというか。大きすぎるテーマを背負いながら書きましたが、ちゃんと最終的に小説になったということがよかった。そうか、そういうものなんだと分かったというか。お話を書くことでそれまで分からなかった領域が分かるようになるというか。
――今後はどのようなものを書きますか。
彩瀬 リアルなものを書いている時の書き方と、『くちなし』のような別のレールに乗っている時の書き方とが、この先どこかで交わるんじゃないのかなと思っていて。『やがて海へと届く』(16年講談社刊)の時に、リアルなことしか起こらない世界と、死者のものと思われる、幻想的な視点とが交互になっていましたよね。あれも何か分断されたものだったけれど、何か、もうちょっといくと、うまく混ぜる方法が分かってくるんじゃないかなと思っています。そうしたらはじめて私の世界観というか、文体が確立するんじゃないかなと思っていて。どういう形かは分からないんですけれども、完全にふたつの別々の書き方、というものにしておきたくなくて、今模索しています。
「共存できない他者」をもっと掘り下げていきたい
――これまでは『骨を彩る』、『神様のケーキを頬ばるまで』、『桜の下で待っている』、『朝が来るまでそばにいる』(16年新潮社刊)など短篇集が多かったと思いますが、今後は。
彩瀬 これから先、長篇ばかり出す予定なんです。もう息切れしていて(笑)。夏の初めにKADOKAWAさんから長篇が出ます。これは『あのひとは蜘蛛を潰せない』と傾向は近いです。あれは母親という共存できない他者と最終的に距離を置くことで自分を持ち直す話ですけれど、その共存できない他者ってなんだろうという部分を、もう少し掘っていった感じです。肉親であるからこその期待を愛情と混同するとか、その人に会うと悲しい思いをするのに、その人に何かを求める、みたいな状態について書きました。
今は「小説推理」さんで連載をしています。これはコミカルなものになります。その後、河出書房新社さんで中篇を書いて、これは肌から植物が生えます(笑)。その後「小説新潮」さんで長篇の連載があって。
ひとつひとつ、「あ、うまく出来たぞ」みたいな気持ちよさがあるのは短篇なんですよね。短篇って短距離走みたいなものじゃないですか。私はもともと短距離走のほうが得意なんです。でも長篇を書いて、「しんどい、しんどい、しんどい、しんどい……」って思っていても、中盤を過ぎたあたりで、「これは短篇では辿り着かなかった領域だ」っていうのが見えることがあるんですよね、物語の進行とか深度について。だから短篇のほうが好きだけれども、しんどいけど長篇もたまにやらなきゃ、って思っています。