(前篇より続く)
女性が産卵するのが当たり前の世界で、卵を産まないということ
――短編集『くちなし』の中の最後の「山の同窓会」では、たいていの女性は産卵するのが当たり前で、なかには身体的特徴から産まずに乳母になる人もいる、という世界の話。3回産卵を果たした女性は力尽きて死ぬといわれるなか、3回目の産卵を迎えた女性が多数いる同窓会に、まだ一度も産んでいない主人公が顔を出します。周囲は彼女を奇異の目で見るんですよね。
彩瀬 これは、自分が同窓会に行った後だったんです。30代ってそれぞれの人生がかなり分かれていく時期で、なかには「なんとなく今までも違和感を持っていたけれど、どうやら自分は恋愛をしたり家庭を持ったりといった、ステレオタイプな幸福には向いていない性質らしい」と自覚しはじめる人も出てくる。20代の頃だと「周りも結婚しているし結婚しなくちゃいけない気がするけれど、なんか違うぞ」という迷いがあったのが、30代くらいの同窓会になるとみんな、それぞれの人生に慣れてきている感じもありました。そういうことがあって、出てきた話でした。
――主人公は自分がこの先どう生きるか分からずにいる。
彩瀬 しかも自分の意思で決められるわけでもない、という。自分の意思で決められないことを書こうとしていた気がします。今、私の夫は男性だし、今まで恋をしてきた相手はたまたま男性なんですけれど、それは私がどこかの時点で決めたことではないので。「花虫」を書いている時も、自分の意志で選択できることと、自分の意志で選択したわけではないけれども、ずっと付き合わなきゃいけないことってあるなという感覚でした。それが連作の後半になるにつれて浮上してきたように思います。
同窓会に来ない人も、違う場所で生きている
――これは同窓会に出席した人たちの話だけでなく、後半にすっかり姿を変えた男性の同窓生、ニワくんという人も登場しますよね。
彩瀬 同窓会のシーンは、みんな薄ぼんやり粒がそろっている感じじゃないですか。そのコミュニティの中で自分をどう活かすかという視点だったので、コミュニティから全然外れたところで人生を昇華する人を書きたかったんです。
現実でも、同窓会に行っても来ない人もいるし、その人たちはまた全然違うところで生きている。ただ単純に全然違う人生を生きている人がいるということを出したくて、ニワくんを書きました。
――ああ、確かに前半では主人公はコミュニティから外れているのかなと感じさせるけれど、ニワくんが登場することによって、さらにその外側にいる人も存在すると感じさせますよね。
彩瀬 分かりやすい共通項でくくった中に自分もいると思うと、安易な安心を得られるというか。学生時代って分かりやすい共通項が出現する前だったから、みんな同じ教室にいたわけですよね。それで可能な限り人の話を聞こうとしたり、聞いたり言ったりできなくて傷ついたりしていた。学生時代の、そういう個人の性質を超えて枠で囲うというのは暴力的なことであり、その後それぞれの道を行って別れ別れにならざるをえなくなる。でも、どこかでお互いの違いを認識しながら同窓会ができたらいいな、という望みもありました。