なにか驚いてもらえるもの、できれば美しいものを
――短篇集『くちなし』(2017年文藝春秋刊)は幻想的な要素で現代社会を描き出した作品ですね。もともと、通底するコンセプトを意識して一篇一篇書かれたものなのでしょうか。
彩瀬 書き始めたのは結構前なんですよ。最初に書いたのは「けだものたち」で、たぶんそれが2015年の4月。はじめの打ち合わせの時からテーマをお任せいただけたのが大きかったです。その頃、新潮クレスト・ブックスの『美しい子ども』が話題になっていたんですよね。海外の短篇小説のアンソロジーで、視点の切り口にびっくりするものが多くて。たとえば国境警備隊をしていて、ここから先は敵国だという場所から舞い降りてくる鳥を見ていたりする(アンソニー・ドーア「非武装地帯」)。普段日本で目に入ってくるものとは違った視界のものばかりだったんです。それを読んだ頃だったので、その打ち合わせの帰りに、自分も「こういう景色ってあまり見たことがないな」と読者に思ってもらえるものが書けたら100点だなと思ったんですよね。なにか驚いてもらえるもの、できれば美しいもの、特殊性のあるものを、と思って書いたのが「けだものたち」でした。
自分がここ最近好んで手にとって読む小説って、表層は違うけれど深部ではすごく身近な問題を提起するものが多いんです。だから自分が書く時にも、そこのハードルはクリアしなければ自分にOKは出せなかった。だから、あえて意識的に現実の問題を含ませようと考えたわけではないんですけれど、自然とそうなりました。
それまで『骨を彩る』(13年刊/のち幻冬舎文庫)や『神様のケーキを頬ばるまで』(14年刊/のち光文社文庫)、『桜の下で待っている』(15年刊/のち実業之日本社文庫)など、結構リアリティの強いものを書いてきて、もちろんどれも満足のいくものなんですけれど、何か、枠に入っているような感じもあったんですね。読んだ人の何かを慰めるものにはなっているけれど、思春期の頃に読んで自分に何か変化を起こさせたものって、もっと恐ろしいものだった。価値観を揺さぶられたり、「こんなこと言っちゃうの?」というような内容だったり、「こんなことを考えていいんだ」っていう、自分の領域を広げてくれるようなものだったので。こういう思想に対して嫌だと思う人もいるだろうけれど、それでも書くべきだと思うものを書こうと考えた時、こういう書き方のほうが手が伸ばしやすかったのかなと思います。
男たちは昼に、女たちは夜に暮らし、時に女は愛する男を食べてしまう世界
――最初に書いたという「けだものたち」は、男女が別々の時間帯で暮らす世の中で、時に女が獣に変化し、愛している男性を食べてしまうという世界が描かれます。これはどういうイメージから出発されたのでしょうか。
彩瀬 男性たちは昼に暮らし女性たちは夜に暮らし、コミュニティが隔絶していて、どうやらお互いの生態は言葉以上、知識以上ではなかなか体感する機会がない、という世界を書きました。それくらいの隔絶が現実にもあるような気がしていて。それはネガティブな意味でというよりも、人は他人の人生を体感できないっていう意味ですね。例えば私も友人と久しぶりに会った時に、働く業界や家庭環境によって当たり前のことが違うなと感じることが多いんです。何かひとつバイアスがかかるだけで、世界はがらりと変わるんだなと思う。それを、より皮膚感覚で理解しやすい、疑似体験できるような設定はないかなと思って、この話を作りました。
――じゃあ、男女にかかわらず、人間同士の隔絶を書こうとしたところが最初にあったわけですね。
彩瀬 そうですね。あまりジェンダーについて論じるというよりも、単純にコミュニティが違うといろんなことが違ってくるという感じ方をしてもらいたくて。わざと女性を男性的に書いたり、性の描き方をぐちゃぐちゃにしたところはあります。
――女性が時にけだものになって男を食べる、という部分については。
彩瀬 たとえば男性が風俗店で女性を買う行為って、社会のシステムのひとつとして、だいぶ昔から存在していますよね。でもその仕事に携わっている方以外の女性は、金銭を介して性的なサービスを売ったり買ったりする現場ってなかなか見る機会がない。その現場が社会の一部として男性コミュニティのエンターテインメントのひとつであっても、まったく接点のなかった女性がはじめて見たら、何らかのショックは受けると思うんですね。というように、片方のコミュニティでは「あるある」みたいな感じで行われていることが、もう一方のコミュニティでは「怖い」「引く」みたいに言われることもあるという、反応格差が出ることとして書きました。女性の社会では時に思いがはやって男性を食べてしまうのは当たり前のことなんだけれど、男性社会からは、それは討伐しなければならない怪物として見なされるというような、段差を作りたかったんです。
……って、あまり語りすぎるとファンタジーを壊してしまうでしょうか。