まったく知らないものに出会ったときに、人は簡単に加害者になれる
――「薄布」はさきほど少し言いましたが、外国から来た小さな子を人形として扱って遊ぶ主婦の話ですよね。これはどんなきっかけがありましたか。
彩瀬 私は幼少期にアフリカのスーダン北部に住んでいたんですが、家にハウスキーパーさんがいたんです。南部の紛争で北部に逃げてきた人が、わりと裕福な家庭とか、海外からの滞在者の家でメイドだったりドライバーだったりになって、それで一家を養ったり、お金を貯めてさらに国外に逃げるということが普通の光景としてありました。その頃私は5歳くらいだったんですが、日本に帰ってきて大人になってから、あの光景はなんだったんだろうと思って。日本でドライバーやハウスキーピングをやってもらうとなったら、どう考えても賃金を払えないですよね。あれは社会格差があるからこそ起こる光景だったんだなと、後で思いました。そこまでの社会格差を、日本で普通に住んでいたら体感することはない。だから私が体験した、人と人が社会的にはとても対等とはいえない状態で、お金で誰かの労働力を買うということを作品にしてみたら、逆にすごくファンタジックに映るんじゃないかなと思いました。
――昨今の移民・難民問題がきっかけかと思ったら、もっともっと前の記憶が元になっていたんですね。
彩瀬 そうですね、もともとその記憶があって、かつ、最近の移民のニュースを見たことも大きかったです。もしも今日本がそうやって何もかも捨てて逃げてきた人たちを受け入れたとした時に、全然心構えができていないですよね。だから、おそらく、簡単に加害者になれる。まったく知らないものに接する時に、気を付けながら接しないと、自分が思ってもみなかったような醜さが露出することがあるんじゃないかな、と思いました。それは書いているうちに、「あ、これはこういうテーマだな」と、結果的に出てきたような感じなんですけれど。
ロシアから出稼ぎにきた人たちのロシアンパブがあったりフィリピンパブがあったり、さらにひと昔前には日本のサラリーマンがアジアの買春ツアーに行ったりしましたよね。わりと男性のほうがお金の格差のある相手に対してひどいことをしがちなイメージで語られる気がしたので、ここでは女性側の話にしてみました。
習慣によるディスコミュニケーションを剥き出しにしてみたい
――「茄子とゴーヤ」も現実と地続きの話ですよね。これは書き下ろしなんですね。長年連れ添った夫と別れ、引きこもりがちだった女性が思い切って近所の理容室へ行き、髪を「茄子みたいな色にしてください」とオーダーする。その店の主人は窓の外にゴーヤのグリーンカーテンを作っていて……。
彩瀬 もう一本現実的な話があったほうがいいんじゃないかということになって書き下ろしました。「愛のスカート」が20代30代くらいの2人の話だったので、ちょっと年齢を変えました。うちの近所の美容院で本当にゴーヤのカーテンを作っているところがあるんです。私が髪を切りに行ったら、「俺ら食わないんだけどいる?」と言って、ゴーヤを2本くらいくれたことがありました(笑)。
他の短篇を書いているうちに、この本を通して繋がっているのが、習慣に基づいたディスコミュニケーションだなと思って。それを剝き出しにできる話を、と考えました。この女の人も性格か何かに大きな問題があってディスコミュニケーションが起こっているわけではなく、今までの人生でそれが当たり前で、降り積もってどこかコミュニケーションがとれない一領域があるというか。理容室の主人のオウミさんも、意外な理由で奥さんに出ていかれてしまったのだけれど、オウミさんは子どもの頃からそういうものだと思っていたから、それに対して非難されるなんて想像もしていなかったんです。主人公視点だからオウミさんについてそこまで語られていないんですけれど。
彩瀬まる(あやせ・まる)
1986年千葉県生まれ。2010年「花に眩む」で「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞し、デビュー。著書に『あの人は蜘蛛を潰せない』『骨を彩る』『桜の下で待っている』『朝が来るまでそばにいる』など。ノンフィクション作品として、東日本大震災に遭遇した時のことを描いた『暗い夜、星を数えて 3・11被災鉄道からの脱出』がある。
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※「作家と90分」彩瀬まる(後篇)──簡単な希望を与えてしまったら嘘になる。それでも人は夢を見る──に続く bunshun.jp/articles/-/6367