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腕を外すイメージは実は〇〇からきていた!

――「くちなし」はそれだけで終わらず、元愛人の妻も登場しますね。「愛なんて言葉がなければよかった」という彼女の言葉も心に残ります。

彩瀬 この主人公、つまり愛人視点から起こったことを見ると、奥さんのやったことは自分の旦那さんの嫌なところを切り捨てる、叩き潰す行為なんですよね。そうやって人格に変化を起こさせて愛するというのは、わりと暴力的なこととして映るじゃないですか、主人公の目からすれば。でも奥さんも、自分が何をしているのかは理解している人にしたかったので、この台詞を書きました。家族というのが愛し愛され裏切らないものであるという契約や誓いがなければ、ここまでの行為を自分はしなかったけれど、現実の自分はそこから逃げられないからやりました、という。主人公ももちろんいろいろ考えているんですけれど、この奥さんも深いというか、重層的な人間になった気がします。

 あ、そうそう、これはイメージを壊すから言わないでおこうと思っていたんですが、腕をパコッと外すのは、蟹でしたね。後から思い返すと、腕をもぐ時の描写に迷いがなくて、「こうやったら外れるよな」という感じで書けたんですよね。後から「あ、蟹だ!」と気づきました(笑)。

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――ああ、蟹。分かります(笑)!

瀧井朝世さん ©鈴木七絵/文藝春秋

運命の相手に出会った時、身体に花が咲く──その恐るべき本当の意味とは

──次の「花虫」は、運命の相手に出会った時、相手の身体に花が咲くのが自分にだけ見える、というロマンティックな話ですよね。でも実は……。

彩瀬 これは察しのいい方は分かるみたいなんですけれど、カマキリに寄生するハリガネムシから想像していったんですよね。

――具体的にどういうことかと言いますと?

彩瀬 ハリガネムシはカマキリの体に入って脳にアクセスして、水場に導いて自分の産卵に利用する。カマキリが自分で望んで水場にいくように仕向ける虫なんですよね。それを何かで知った時、すごく怖いと思いました。たとえば、人間が他の生き物を生かすために利用されていたらどうなんだろうって。人間の体内にそういう異物がいないという保証はないですよね。じゃあ自分の体内に異物がいて自分は操られていたと自覚した時、人は変わるんだろうかというふうなことを思ったんです。異物がいたと分かり、自分たちがこうだと思っている世界はこうではなかったと知った時、ここに出てくる夫婦はどう落とし前をつけるんだろうと考えました。

 ちょっと頭にあったのが、震災の後、「震災離婚」が結構あったこと。あの頃、カップルが危機的状況下でどう振る舞いたいかが、お互いに違うと気づいた人が多かったんですよね。西側に避難するかしないか、とか。それで意見が分かれて離婚する人が多かったといいますよね。そこから、まだ互いに愛があることは前提として、今まで特に問題もなく、特に悪い人間でもない2人がそうした危機的状況下におかれた時に、どう反応するのか、愛では解決されない問題を書いてみたかったんです。

思いを向ける対象に永遠に受け止めてもらえないからこそ

――次の「愛のスカート」は現実的な世界の話です。昔好きだった男性に再会した女性が、今はデザイナーとなった彼が好きな人のためにスカートを作る過程を見守ります。彼が住んでいるのが鎌倉だなどと、具体的な地名も出てきますね。

彩瀬 編集さんとは「ひとつ現実的な話を入れておくと、その現実のものすらも数ある世界のうちのひとつでしかない、という感じが出せるかもしれない」という話はしていたんです。それとは別に、「けだものたち」「花虫」「くちなし」を書いたあたりで、一回私の中の幻想的なものを書く回路が枯渇して(笑)。ちょっと1回休憩だ、と思って「愛のスカート」を書きました。

――可愛い話ですよね。彼が作る洋服の色彩の豊かさもあって、幻想的な世界の空気に乗っかったまま読みました。鎌倉の古民家も含め、お洒落な雰囲気もあるし。

彩瀬 「けだものたち」みたいなものを書いてきた後でいきなり現実的なものを書くとなった時、全然ネタが浮かばなかったんです。その時にミナ ペルホネンの高いスカートを買って「ヒャッフー!」みたいな気分になって、その気分を小説に落とし込めないだろうかと。

――ミナだったんですか!(笑)納得。

彩瀬 ミナですよ!(笑)さすがに出てくる服の図柄はミナではないんですけれど、これを書いた時の私の高揚感はミナのおかげです。

 こんな話でいいんでしょうか(笑)。もうちょっと言葉を選ぶと、すごく素晴らしいものが生まれる背景には、何か他のものがあるということを考えました。自分が気持ちを向けている対象に永遠に受け止めてもらえないからこそ、作品に熱量が入るんじゃないかなと考えていたことがあったんです。それをうまく使える機会があった感じです。

 それまでの3つはすごく考えながら慎重に書いていたんですけれど、「愛のスカート」は今までにもこういうものを書いてきたという感覚があったので、あまり力を入れずに書けた結果、わりといいものができた気がします。