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「愛なんて言葉がなければよかった」見たことのない景色に震える短篇集『くちなし』──「作家と90分」彩瀬まる(前篇)

話題の作家に瀧井朝世さんがみっちりインタビュー

2018/04/07

genre : エンタメ, 読書

note

別れた愛人の左腕と暮らす表題作「くちなし」

――うーん、既読の自分にとっては、そういう著者自身の解説は聞きたいところですね。それが自分の解釈と違ってたからといって、「自分の読みは間違っていた」と短絡的には思いませんが。

彩瀬 読者が読んだ時にファースト・インプレッションで受け取った感想が、私がどう書いたかよりもよっぽど正しいことのような気がします。なので私が今こう話していることも、一度読んで「自分はこう思った」というものを各自持っていただいた上で、参考までにどういう仕組みで書いたか、みたいな感じで受け取ってもらえたら。たとえば幻想小説集を全然読んだことなかった方が、この『くちなし』を読んで、頭に「?」がいっぱい浮かんだ、というような時に、補助線としてこういうインタビューがあるといいんでしょうか。

――そうですね。たとえばこの中の「薄布」という話は、外国の子どもを人形に見立てて遊ぶ女性たちが出てきますが、「人間で人形遊びをする話だな」と思って終わる人もいるかもしれないけれど、移民・難民問題に結びつけて考えられると気づくとまた見方も変わってくるかもしれませんし。

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彩瀬 ああ、そうなんです。書いている最中、編集さんによく「読者を信じてある程度手放せ」ってアドバイスをいただいたので今回は特に、余計な部分を削ったんですけれど、「薄布」をもし読者に親切な話にするんだったら、もっと勧善懲悪的に、主人公が最後に痛い目に遭う話にしたほうが分かりやすくなりますよね。でもそうすると、その代わりもう追えない道筋が出てくるというか。

 ただ、この本は直木賞の候補にしていただけたのですけれど、ということはある程度、登場人物の精神がテーマなわりには読みやすいと判断していただけたのかな、と。ほとんどの話に、身体に分かりやすい怪異が起こりますよね。それがもっとまろやかなものだったら「エンタメじゃないから純文学にカテゴライズするしかないかな」というような本になっていた気がします。それが悪いことじゃないんですけれど。

 これは主人公たちそれぞれの内面の解決のための小説なんですが、かつエンタメとして多くの人が読みやすいものになるよう、編集部の方がうまくリードしてくれた気がします。今までは何を書いても足場はしっかりエンタメ分類の話になっていたから、はじめてバランスをとる執筆をさせていただきました。

©鈴木七絵/文藝春秋

――ではたとえば、巻頭にある「くちなし」はどういう発想だったのでしょうか。表題作でもありますね。

彩瀬 この本にはファンタジー要素の強いものと、そういうことが起きない日常のものとの両極があるなかで、「くちなし」は日常的なシーンから始まって不可思議なことが起こる内容で、一番、読者の方に「これはこういう本です」と提示しやすいものだと考えて、表題作になりました。

亡くなった夫の義手を枕にして眠るおばあさんのエッセイ

――1人の女性が、10年つきあった愛人に別れを切り出される場面から始まるんですよね。それで最後だということで、彼に「なにか贈らせてくれ」と言われ、「じゃあ、腕がいい」って言うんですよね。そうしたら男があっさりと腕をもぎとる。そこでもう「キター!」って思いました。しかもそのもげた腕が生き物のように振る舞って、彼女はそれをペットのように愛でて生活していくという。そこからまた展開があるわけですが。

彩瀬 川端康成さんの『片腕』も読んでいたし、腕を愛するというのはひとつ前に出した『眠れない夜は体を脱いで』(17年徳間書店刊)の時に、手に対していろんな人がいろんな夢を膨らませるという、若干フェチズムの話を書いていたので、なんとなく手をこねくりまわす小説を書きたいなというのがありました。それに、辺見庸さんのだいぶ昔のエッセイに、辺見さんが昔アメリカで高齢のご婦人の家にホームステイした時に、おばあさんが寝室で亡くなった夫の義手を枕にして寝ているというエピソードがあって。その人そのものではなくて、義手であるからこそ生々しく感じたんです。それがたぶん、ずっと私の中のどこかに残っていて。書き終わった後で、「あ、昔読んだあれだ!」と思いました。

眠れない夜は体を脱いで (文芸書)

彩瀬 まる(著)

徳間書店
2017年2月8日 発売

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――彩瀬さん、辺見さん好きですよね。そのなかでもその光景がずっと残っていたわけですよね。

彩瀬 そもそも『もの食う人びと』がすごく好きで、大学生時代によく読んでいたんです。それで、その無愛想なおばあさんがベッドの中で夫の義手を枕替わりにして寝ていたという情景の、辺見さんの淡々とした書き方がすごく素敵だったんですよね。でも、その時、私は羨ましく思ったのかもしれない。だって義手ってもう絶対変化しないじゃないですか。夫を愛するとか彼氏を愛しても、その人は日々刻々と変化するし、自分も変化するし、常にそこにある愛情や存在を疑いながら続いていく。でも義手状態の愛情の対象って、疑う必要もないし、毎晩すごくいい枕になるわけじゃないですか(笑)。「超いいな、これほしいな」って思ったんです、大学生の時。