また、日本アカデミー賞で優秀主演男優賞を受賞した2020年、映画「罪の声」では、ある事件を追う新聞記者の役を演じていた。小栗が事件を紐解く形で物語が進むのだが、見終わった後、まさに新聞を閉じたように、新聞記者の小栗の印象がふっと消える。ただただ、事件に巻き込まれた人のその後と、事件の後味が残る。これはすごいと思った。“小栗旬”という強烈なインパクトと認知度を持つ彼だが、「引く」演技をすると、ストーリーに溶けるように存在が馴染み、それにより全体が調う。
「疲れたとき、相談すればいいですか」
前出の「まつもtoなかい」でも、興味深かったのが、小栗の話をきっかけに、MCの松本人志が自分のお笑いや芸に対する思いや迷いを、とても素直に話し始めたことである。
また、小栗旬が会いたかった人として、サプライズゲストで千鳥の大悟が登場。松本とのお笑い談義で盛り上がったのだが、小栗はそれを「待ってました」とばかりに、本当に嬉しそうに聞くのである。聞き上手というより、きっかけ上手。彼が作ったきっかけで、周りが自分の話や個性を出していくイメージだ。同時に、小栗は今、自分の話をするより、人の話を聞くほうがラクそうだとも感じた。自分の話をするときは、本当に言葉選びに慎重である。
世の中、情報ばかりが溢れ、疑心暗鬼が膨らみ、思わぬ方向に進んでいく。小栗旬は昨年の「鎌倉殿の13人」で、義時を通して、その極限の世界を疑似体験したようなもの。それを終えて現実に戻ったら、別の戦が待っている。「(大河ドラマを)一区切り、と思って進めてきたら、ここから先の課題が多い状況で、『まだやるんか』と」という彼の言葉はもう叫びだろう。そりゃもう疲れるはずである。
小栗の「改革の一歩」
「逃げたい人だから、逃げずに向き合っている人に興味がある」とも話していた小栗。元来、逃げたい人なのだ。
「小栗君はいろんな開拓をこれからしていく人だから、疲れちゃったとか、ちょっと聞きたくない」という中居に、明るく、しかし真面目に「そういう時に、相談できる方っていらっしゃいますか」と問う。「俺疲れちゃった、と誰に言うのがいいのかな」と悩みを口にする。
なんとなく観ていたが、案外、これが彼の「改革の一歩」なのかもしれないと思った。
小栗旬は疲れる。そしてテレビという公共の電波で、疲れたと言葉にする。それがいい。
多くの人が疲れている今、言わねば、鎌倉に逆戻りである。